「統合失調症 その新たなる真実」 岡田尊司著(PHP新書、'10.10.29)−統合失調症は克服できる病気か?

このところ読み続けている「抗うつ薬の功罪」(デイヴィッド・ヒーリー著)が、あまりに大部(400頁近くある)であり、内容は実に興味深々で面白いのだが相当手ごわく、しかも精読しているため時間がかかっている。そこで、その合間を縫って読んだ標記の本について先に少し感想を述べたいと思う。体裁は新書版で一見手軽だが、昨年10月出版という新しい著作だけあって、まだ「仮説」でしかないような最新の学説も積極的に紹介し、この古典的な病を総合的な見地から概説した極めて真面目で好感の持てる著作である。

 著者の表現に従えば、一言で言って統合失調症は、生物学的に脆弱な要因を抱えている人に、不利な環境ストレスが重なったときに、発病と言う事態に至る」疾病であると言える。
 第1章では、症状や経過から見た、統合失調症の三つのタイプ、解体型、緊張型、妄想型についての説明がなされる。

 第2章は、フィリップ・ピネルに始まり、この病気に「早発性痴呆」と名付けたベネディクト・モレルからシャルコー、クリージンガーを経て、一つの完成した体系を打ち立てたエミール・クレペリン、そして、この「早発性痴呆」という病名がふさわしくないとして、Schizophrenie(シゾフレニー)という病名をあらたに提案したオイゲン・ブロイラーに至るこの病気の解明の歴史が概観される。なお、シゾフレニーについてのブロイラーの理論によれば、感情と思考が分裂し統合を失うことがこの疾患の根本障害ということなのだが、日本語訳の「精神分裂病」という何ともおどろおどろしい名称は、あたかも人格が分裂し、精神が崩壊するというような誤解を与えるネーミングであったと言える。2002年に、全家連の要請で、日本精神神経学会総会で「統合失調症」に名称変更がなされている。
 なお、ブロイラーの治療実績が、抗精神病薬による治療が始まった時代と比較してほとんど遜色のない、むしろそれを上回ったというエピソードが紹介されており、実に興味深い。

 第3章は「統合失調症の症状と診断」であるが、先ず「統合失調症のベースには脳の機能的な障害がある。機能的な障害とは、脳の働きに異常が起きているということである。」という大前提が提示される。機能的な障害とは、先ず、病気の進行による脳の委縮であり、次に神経繊維の走行の乱れである、という。
 統合失調症の症状を陽性症状と陰性症状に分け、加えて、認知機能障害による認知機能低下があると述べる。この認知機能障害は元々はクレペリンが着目したものだが、あまり重要視されてこなかった。それが近年統合失調症の中核的な症状と考えられるようになって、にわかにクローズアップされるようになったとして、次の第4章をまるまる割いて分析している。この章のエピソードの中で、統合失調症があるとニコチン依存になりやすいという指摘があり興味深かった。患者にヘビースモーカーが多いのは、実感として理解できる。詳しい説明は省くが、その理由が認知機能障害と関係あるというのは意外であった。

 第5章は「統合失調症の神経メカニズムと原因」では、統合失調症の原因としてての遺伝子変異について述べ、その上で、統合失調症は、一つの原因で起きる単一の疾患ではなく、症候群であると分析する。また一つの遺伝子変異があったとしても、発症しないことの方が多く、そこに最後の引き金を引く環境的要因が加わらなければ一生無事に過ごすことも多いという。
 この章では他に、統合失調症の本質的な病理メカニズムがドーパミンの過剰放出にあるとする、いわゆる「ドーパミン仮説」をめぐって、クロルプロマジンからクロザピン、リスペリドンまでの抗精神病薬の変遷について述べられる。また「ドーパミン仮説」の限界に対する新しい説明理論として「グルタミン酸仮説」と「カルシュニューリン仮説」が紹介されていて興味をそそる。

 第6章の「統合失調症と社会」は、本書の中で最も感銘を受けた部分である。先ず、有病率や発症率は世界のあらゆる地域で均一ではなかったとする。そして、この病気の発症や予後に貧困などの社会的要因が関係している「社会原因説」とそれに反論する立場の「社会流入説」が紹介される。
 そして次のような驚くような指摘をする。
「1955年に抗精神病薬による治療が本格的に導入されてからの30年間と、1900年から1920年の20年間を比べると、統合失調症で入院した患者の社会的回復の比率は、40パーセントからほんの数パーセント上昇したに過ぎなかった。」

 また、1960年代以降精神病床を大幅に減らしたアメリカの実情について注目すべき報告をしている。病院から出された患者のかなりの割合がナーシングホームなど安上がりで劣悪な環境の施設に移るかホームレスになることを余儀なくされているとして、その背景には予算の削減という財政的な目論見があったと指摘する。それは、本来の社会復帰とはほど遠い状況で、彼らは社会に放り出され、見捨てられてしまったと言う。その結果、無治療で放置される者や、罪を犯して刑務所に行く精神障害者が増えるという事態を招いているとする。アメリカやイタリアの状況を引き合いに出して精神病床の削減を云々するわが国の医療行政にとっても、他山の石とすべき重要な報告である。

 さらに興味深いのは、開発途上国におけるシャーマンや呪術師による土着の治療法が、先進国の近代的な精神療法よりも、ずっと良好な治療成績と予後が認められているということである。その鍵となるポイントの一つは、今起きていることは患者本人のせいではないという視点、つまり患者の問題と言う視点を、家族や共同体の問題という視点に変えさせること、もう一つのポイントは、全ての関係者が積極的な関与を求められる、ということである。こうした治療とは、本人だけを共同体から切り離す方向ではなく、むしろ「再統合」をはかる営みであるとし、日本を含む近代的な社会が行っている対応との違いは歴然としている、と断ずる。

 この章、いやこの本全体を通じて著者によって力を込めて語られるのは、統合失調症の発症や回復には、薬物療法にも増して環境的要素が重要であるとの指摘である。ここに著者の精神科医としての良心を感じるのである。 最後の第7章「統合失調症の治療と回復」の中の<薬物療法の実際>という項目では、非定型抗精神病薬の登場は、精神科での治療を様変わりさせるほどのインパクトをもたらしたとして、従来薬と非定型抗精神病薬具体的なリストを掲げて、その画期的な効果が副作用も含めて説明される。

 本書は著者の臨床医であり精神医学者としての真摯な姿勢が伝わってくる、しかも明晰な文章で書かれた優れた啓蒙書であると思う。内容は専門的で広範囲であるが、決して理解を困難にするような衒学的なところはなく、とても懇切で分りやすい。さすがに小説家でもある著者の面目躍如といったところか。さらには神経メカニズムを中心とした最新の科学的成果が詳しく述べられ、他にも著者の示唆に富む様々な知見が随所に散りばめられていて、読みながらたびたび立ち止まって考えさせられた。そして、この本を読了した今でも私の心の中には未だに数多くの課題が残ったままである。

 なお余談ではあるが、統合失調症に罹患した人物の視点から書かれた小説としては、外国ではゲオルグビューヒナーの「レンツ」、日本では川上弘美の「真鶴」という共に興味深い作品がある。特に前者は実在の作家をモデルにし、主人公が次第に狂気に陥っていく様子が描かれた傑作であり、岩波文庫から良い翻訳がでている。これについては別のブログで言及したので、そちらを参照いただければ幸いである。

 著者のこの病に対する優しさと真摯な取り組み姿勢が感じられ、患者さんや共に苦労を分かち合っている家族の方々にも大変参考になると思われる優れた著作であると思う。