「世界を変えた10冊の本」池上 彰著(文藝春秋、'14.3.20)−「社会契約論」が抜け落ちている?

電子書籍で読んだ。一読して、池上彰の世評が高いことに納得がいった。実に要領のいい、分かりやすい解説だ。それぞれの著作と作者について、著者が十分咀嚼をしていないと、こうも明晰な本は書けないであろう。


 さて問題は、10冊の本の選択にある。一応、書名を並べてみる。著者の趣味の良さを垣間見ることができよう。
 1.アンネの日記 2.聖書 3.コーラン 4.プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 5.資本論 6.イスラーム原理主義の「道しるべ」 7.沈黙の春 8.種の起源 9.ケインズの一般理論 10.資本主義と自由


 他に、本来ここに入れるべき候補著作としては、
 A.プリンピキア(ニュートン) B.戦争論クラウゼヴィッツ) C.社会契約論(ルソー) D.相対性理論アインシュタイン) E.不完全性定理ゲーデル) F.また、特定の本ではないが、ボーアからシュレーディンガーを経て発展を遂げてきた「量子論」の分野
 などがある。池上の選んだ本には、総じて”理系”の本が少ない。(種の起源だけだ)しかし、昨今の世界を変えてきたのはほとんど”理系”の思考であるのは間違いない。



 一方『社会契約論』フランス革命以降、さんざん血の雨を降らせてきた多くの革命運動のバックボーンとなった、極めて重要な本である。そういう意味では、ルソーはマルクス以上に怖い存在だ。岩波文庫版の解説で、河野健二「ここで説かれているのは、一言にすると革命的民主主義の国家論である。」、「ルソーの構想した国家は、権力分割の上に立つブルジョワ的な立憲君主制ないしは議会主義国家ではなく、全人民を主権者とする直接民主政、人民独裁の国家であったと考えられる。」と述べていることからそれは想像できる。フランス革命後の国民公会ロベスピエールがルソーを称揚し、その遺骸を「偉人の殿堂たるパンテオン」に移送することを決定したのもむべなるかな、である。
 翻訳(*)で見る限りだが、ルソーの文章は極めてレトリックの勝った、詩的インスピレーションに富む一種の名文で、それゆえ曖昧で意味の取りづらい側面がある。その文章作法には、まったく正反対の解釈も可能である罠のようなものを感じる。「一般意志」の概念などはその最たるものだ。
(*)岩波文庫版(桑原武夫など、主として京都大学人文科学研究所のメンバーによる、日本語として十分にこなれた優れた訳である。)
 

 そもそも10冊などという限定方法には、特に何か根拠がある訳ではないだろう。



 本書に挙げられた10冊の本から、1冊だけ見てみよう。マルクス『「資本論についての説明は、極めてまっとうに<労働価値説>、<商品の使用価値・交換価値>と続いていくが、思い出したのは小室直樹『経済学をめぐる巨匠たち』ダイヤモンド社)におけるマルクスの項である。ここで小室は<疎外>の本質から説き起こしている。<疎外>は資本論には出てこない言葉で、強いて言えば第1巻の第1篇第4節「商品の物神的性格とその秘密」に相当すると思われるが、小室の記述を読むと、単純に同一概念とも思われない。
 <疎外>『経済学・哲学草稿』に出てくる言葉だが、読んでも今一つ飲み込みにくい。それを小室は、大胆にも「”疎外”とはずばり”社会現象には法則性が在る”という事である。」と断言し、更に風呂敷を拡げて「この世の経済、社会、歴史には、それを動かす一般法則が存在し、人類にはこの法則を操作する力などない。これこそが”疎外”の真髄であり、マルクスが遺した最大の業績である。」と続ける。そのように決めつける小室の話の筋道が目茶目茶面白い。(詳しくは、ご一読を!)
 一方、池上の本は中庸を心得ていて、このようなドラスチックな切りこみ方はしない。