「『 余命3カ月』のウソ」近藤 誠(ベスト新書、'13.4.20)−医療は人を恫喝することで成り立つ (付記)精神科医療について

私は10年以上を病院に勤務し、日々医師や患者さんなどと接している立場の人間である。ただ私は、医師でもその他の医療従事者でもなく、単なる事務職であるが、それなりに責任を負う立場にいるので、役所、業界団体、医師、製薬会社などへの接触も日頃極めて濃厚であることを予め明らかにしておきたい。

 近藤先生のがん治療に対する考え方は、新聞、雑誌、ウェブサイトなどで、つとに知るところであるが、まとまって本を読むのは初めてである。本書は多分、近藤先生の最も新しい本であろうと思われる。

 著者の現在の日本のがん医療の主流となっている治療の在り方に対す手厳しい批判の底流には、そもそも日本の医療業界(厚労省地方自治体、大学医学部、多数の医療機関、大手製薬会社など)に対する抜きがたい不信があると思われる。
 なお、経済同友会の代表幹事は日本の製薬会社のトップ企業である武田薬品工業の長谷川閑史氏(代表取締役社長)であり、かつ医療業界全体の代表でもある。

 著者の基本的な考え方は、がん告知の現場において医師が乱発する「余命3カ月」という言葉への徹底的な批判となって集約的に表れている。<はじめに>において著者は言う、「がんが恐ろしいのではない。『がんの治療』が恐ろしいのです。」

 本書の構成は以下のとおりである。
  第1章 偽りだらけの余命宣告
  第2章 余命とはなにか
  第3章 がんとはなにか
  第4章 余命を縮める抗がん剤の正体
  第5章 予防医学が余命を削る!
  第6章 限られた余命を、どう生きるか

 第1章で先ず著者は、医療が、宗教や教育と同じように恫喝産業であり、不安産業であると位置づける。従って、医者が患者に「余命3カ月」と決めつける目的は「患者を治療に追い込むための脅し」であると言う。これでは、単なる詐欺を通り越して犯罪そのものではないか。

 私は大学卒業後に某都市銀行に勤務した期間があるが、その経験からして、資本主義制社会(勿論、中国も含む)においては、どんなに大手の企業組織であろうとも、商いの遣り口の中には必ずと言っていいほど詐欺的な要素が紛れ込むことが分った。たとえそれが全体の5%、いや僅か1%であろうとも、強力な病原体となって組織全体をゆがめる場合さえあるのだ。著者が恫喝産業と決めつける上記の三つも、活動を具現化するには必ず企業的組織体を構成するので、当然こうした傾向を免れ得ないどころか、人間の弱みに憑依する存在として、より濃密に特徴化された姿で社会に立ち現われてくるのだ。

 第1章の最後に、著者は「以前、治療法が無かった時代には、どんな臓器のがんでも、死は穏やかなものでした。がんが恐ろしい病気と思われているのは、がんの治療のせいです。無意味な手術や抗がん剤治療がもたらす、生き地獄が恐ろしいのです。」と結論づける。
 この章において著者は、「診断を忘れたほうが長生きする」「病院に歩いてみえた患者さんに、初診や、初診から間もなく『余命3カ月』と宣告するような医者は、詐欺師です」「手術さえしなければ、穏やかに死ねる」という穏やかならざる言葉を連ね、「がんは苦痛等の症状がない限り、治療しないで様子を見るのがいちばん快適に長生きできる。」と、<がん放置療法>を提唱する。

 また本章では、逸見政孝さんや特に中村勘三郎さんのがん治療の経緯が描かれている。著者の義憤は二人の命を奪ったがん治療に対する激しい筆誅となって噴き出ているが、その義憤がそのまま読者に乗り移ってきて、読みながら大きく心が揺さぶられるのだ。
 様々なデータに基づく著者の主張の大部分は論理的整合性があり、十分頷ける。自らの死生観を確かめるのに大いに役に立つことは間違いない。
 
 しかし、あえて一つだけ(恐る恐る)異見を差し挟むとすれば、がん手術がすべて悪なのではなく、そもそも医師の能力に大きな個人差があって、劣悪な手腕の医師に遭遇した場合に、的確な見立てや適切な治療方法が望むべくもないことが、著者の非難するような無惨ながん治療の元凶のひとつと言えるのではないだろうか
 資格を得るのに困難な職業には、医師と弁護士がある。ともに、ある意味で患者や依頼者の全運命の生殺与奪の権を握る神に似た存在だ。だが、これらの国家資格者ほど、能力の違いが顕著な存在はなく、運悪くへまな医師や弁護士に当たった時には、まさに悲劇的な結末を見ることになる。
 医師も弁護士も、巨大な業界(利益集団)を形成している。医師については述べたが、弁護士も、判事や検事と持ちつ持たれつの関係にあり、一見対立しているようで、裏では共通の利害で繋がっている。判事も検事もいずれ退官すれば弁護士になるのであり、弁護士業界との決定的な対立は避けるであろう。

 例えば、私は東京高裁である人物の本人訴訟のサポートをしたことがあるが、訴えた相手の某農協には無論弁護士がついていて、公判中でも判事と談笑さえしているのを目撃した。融資に絡んだ判断の難しい案件だった。私は、本人訴訟の当人に言ったものだ、”農協は日本の体制を担う組織の一つだ。あんたは一介の自由業者。裁判所も国家体制の中枢を担っており、よほど決定的な証拠のない限り、裁判所は体制側の味方をするはずだ。おまけに裁判所とグルの弁護士までもついている。諦めたほうがいい。”と。

 第2章では、余命とは何かが述べられる。
 先ず著者は、「余命とは平均値ではなく、生存期間中央値」であることを頭に入れようと言う。
 その上で、がん検診における「リードタイム・バイアス」という、がん発見から死亡までの期間に関するバイアスについて説明する。著者は、患者を治療に追い込むために用いられることのあるリードタイム・バイアスを使ったデータのトリックに注意しろと言う。
 リードタイム・バイアスとは、検診で発見されたがんと、症状が出て外来で発見されたがんでは、前者のがんの方が、見かけ上の生存期間が長くなるという偏りのことを言う。

 リードタイム・バイアスについては、著者は国立がん研究センターのサイトの説明を援用しているが、ここでは観点を変えて"NCI(アメリカ国立癌研究所)"のサイトを見ることにする。"NCI Cancer Bulletin(Volume9/Number23)2012年11月27日号"(「”科学的根拠に基づくがん検診”特別号」)からの引用である。

「症状による癌診断の前に、検診によって癌が早期に発見されると、リードタイム・バイアスが生じるが、早期診断によって疾患の経過が変わることはない。・・・
 リードタイム・バイアスは、発見後の生存期間を比較するすべての解析に伴うものであり、リードタイム・バイアスがあるため、検診さらに言えば早期診断による癌発見の5年生存率は、検診により救命が可能かどうかを判断するにはそもそも不正確な基準となる。残念ながら、発見後の寿命が延びるという認識が医師にきわめて強い可能性がある、とテキサス大学のMDアンダーソンがんセンター生物統計学教授Dr.Donald Berry氏は述べた。」

 ここでは同時に、がんの過剰診断について警告を行っているのが注目される。「検診で発見された乳癌の15〜25%、検診で発見された前立腺癌の20〜70%が過剰診断であると推定されている。」

 この特別号の中の論文では、特にがん検診に対する慎重な姿勢が目立つ。以下は、Dr.Otis Brawley(米国癌協会医務部長エモリー大学血液学・腫瘍内科学・医薬および疫学教授)のゲスト報告からの引用である。
「患者は100%正確な検診など存在しないことを理解する必要がある。・・・また検診は不安も引き起こしうる。そして稀な例ではあるが、検診が早期死亡を引き起こすような治療や診断的介入につながることさえある。
 場合によっては検診で初期癌を発見できるが、依然として不必要な治療や治療に関連するあらゆる副作用につながる可能性がある。これらのがんは過剰診断されているのだ。」

 長くなったので詳述はできないが、著者の、大いなる関心をそそる指摘を箇条書きに記しておく。具体的には直接本書を読まれることをお薦めしたい。
1、 がんはあいまい。(「がんもどき」について説明がある)
2、 がんと闘う、という無茶。
3、 がんを切り取る手術は危険がいっぱい。
4、 手術をしすぎる日本人。
5、 がんの早期発見・早期手術は無意味。
6、 無治療が最高の延命策。
7、 日本は抗がん剤後進国
8、 抗がん剤で治る成人のがんは、急性白血病悪性リンパ腫、睾丸のがん、子宮絨毛がんの4つ。
9、 抗がん剤の縮命作用。
10、百害あって一利なしのがん検診。
11、実は原発よりこわい、医療被曝。
12、がん、老化と共生する生き方。

(付記)
 がん治療の実態は本書を読むことでその一面を理解できるが、精神医療の奥深い森については私が日々関わっていることなので、多少は土地鑑というようなものがある。
 本来のテーマからは外れるが、日頃感じていることを以下に簡単に記すことを許していただきたい。
1、精神科は生物的なエビデンスなしに人を病気と診断できる唯一の医学領域である。
2、DSMICD-10(*)のようなジャパネットたかたの通販カタログみたいな診断基準によって病名が導出される。
3、精神科医療は、製薬業界の金城湯池である。
4、うつ病薬のSSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)は自傷・他傷という甚大な副作用があると思われるのだが(**)、これが意図的に放置されている。
5、製薬会社の作る「添付文書」は薬害に対する態のいいアリバイとなっている。
6、精神医療の世界で一番偉いのは薬である。最終的に、薬の利き具合で病名が確定する。
7、近藤先生流に言えば、精神科領域にも多くの「精神病もどき」が存在する。それは、精神科の業界一家(***)がこぞって加担して作り上げたものだ。DSMの作り出してきた過剰な数の病名がこれにしっかりと貢献している。

(*)  DSMは米国精神医学会(APA)が刊行した精神疾患の診断基準「精神疾患の分類と診断の手引」で、現在4-TRが流布しているが(4は実際はローマ数字標記)、本年5月22日にDSM-5が刊行される予定。(この版よりアラビア数字標記に変わる)。ICD-10はWHOの設定した「国際疾病分類」の第10版。第5章<精神及び行動の障害>F00−F99までが精神疾患に相当する。
(**) デイヴィッド・ヒーリーの『抗うつ薬の功罪』(みすず書房)を読むと分る。
(***)厚生労働省都道府県の精神保健に関わる部署、製薬会社とその卸業者、医療機器会社、精神医療に関する学術団体、大学医学部、公私病院群、調剤薬局医学書出版社、医事評論家、そして多くの指導的な精神科医師。