「11の物語」パトリシア・ハイスミス 小倉多加志=訳(ハヤカワ・ミステリア・プレス文庫、'97.10.31)―まさしく”不安の研究”(グレアム・グリーン)そのもの

一読して感嘆した。人間の本性に対する洞察力の鋭さ、深さに脱帽。何もなければごく安定してみえる人間のこころ(精神)の何という頼りなさ、脆さ、そして危うさ!
 この11編の作品に描かれているのは、日常生活や人の理性のぽっかり空いた裂け目から頭をもたげてくるぐにゃぐにゃとした不気味な不安と狂気だ。

 それにしてもパトリシア・ハイスミス(以下”P.H”という)作品の巧さは尋常並大抵ではない。天才的と評しても過言ではないだろう。ちなみに『アフトン夫人の優雅な生活』の冒頭の文章を見てみよう。

「その日の午後、レキシントン・アヴェニューの一階にある診療室の窓からじっと外を眺めていた精神分析医フェリックス・バウアー博士には、時間の流れがのろのろとして止まっているように感じられた。流れているにしても、進んでいるのか溯っているのか判然としなかった。通りは渋滞しており、ぎらぎらした日射しの中で、赤い新号灯を前にしてあとからあとから詰めよる車のクロームの部分が白熱したように光っていた。バウアー博士の診療室は冷房がきいているので、実のところ気持ちよくひんやりしていた。が、何となく―理性がそう判断したのかもしれないし、勘が働いたのかもしれないがーおもての暑さが感じられた。その熱気を思うと憂鬱だった。」

 主人公の鬱陶しい心象と、車が渋滞する窓外の風景が交錯して二重写しになり、時間の感覚と光と色感と温度感が渾然として、言うに言われぬ不安と憂鬱さが醸し出されている。名人芸と言っていいだろう。

 それから、『もうひとつの橋』の中から、交通事故で妻と一人息子を失い、旅に出た主人公のメリックの心象が描かれた部分。

「彼女を失ったうえに、大学を出て兵役をすませ、新婚そうそうで、これからいよいよ生活をはじめようとしていた息子まで失ったことは、それまでの彼の人生における信念をぐらつかせるのに十分だった。勤勉の美徳、正直、人間同士の尊厳、神の信仰・・・・それらがとつぜんひどく薄っぺらでむなしいものになったのに反して、葬儀の行われた教会に置かれた妻の息子と死体は、石と同様に現実のものだった。家の中の空虚さは現実だったが、男らしい剛毅さといった抽象的な理想はもう現実感がなかった。」

 この実存主義的な文章は、まるでアルベール・カミユを思わせる。私の苦い経験から言えば、”人”が肉体的あるいは社会的に解決不可能な絶望的極限状況に追い込まれた場合、道義も友情も信頼も踏みにじり、平気で道を外れ、他人を裏切り、嘘もつく。(この”人”とは、例えば大昔の私のことだ。)ここで生まれる喪失感というものは、かくも人間の現実感覚を失わしめるものなのだ。

 この短編集には、(私が勤務している)精神科の患者になりそうな登場人物が多い、というより大部分の人物がそうだ。例を挙げてみよう。
『恋盗人』のドン、『すっぽん』のヴェクター、モビールに艦隊が入港したとき』のジェラルディーン、『アフトン夫人の優雅な生活』のアフトン夫人ことフランシス・ゴーラム、『野蛮人たち』のスタンリー、『からっぽの巣箱』のイーディス、などなど。
 病名は?<統合失調症うつ病、さまざまな人格障害・・・。>

 P.Hの執拗な心理描写は、ダシール・ハメットなど米国のハードボイルド系の作品と対極にあるものだ。テキサスうまれの彼女がアメリカでよりヨーロッパで多くの読者を獲得しているのもむベなるかな、である。

 短編小説というジャンルの中では、P.Hはサキやモーパッサンの縁続きに位置づけられるだろう。P.Hはモーパッサンに比肩しうる鋭利な観察力の持ち主だが、モーパッサンのようなかっちりした描写の的確さと比較すれば、P.Hの描写の対象には霧のように一筋縄ではいかないバイアスがかかっており、人間性の中にある怪しさ、残酷さにより焦点が合わされている。また、モーパッサンと同様、狂気を主題にした短編を多く書いている。(例えばモーパッサンでは『山の宿』。この作品を引き継ぐのは、ゲオルグビューヒナー『レンツ』であろう。)
 切れ味の鋭さや怪奇趣味は、サキに通じる。本書の序でG.G(グレアム・グリーン)が書いているように、サキの傑作『スレデニ・ヴァシュター』とP.Hの『すっぽん』においては子供の残虐性が扱われているし、動物の冷酷さがメインテーマになっているという点では、サキのこの作品と、P.Hの『かたつむり観察者』『クレイヴァリング教授の新発見』(いずれも「かたつむり」が登場)とに共通点が見られる。

 私の好みで言えば、次の作品が好きだ。モビールに艦隊が入港した時』の次第に明らかにされて行くジェラルディーンの素性と狂気に満ちた夫婦生活、それに何より逃げ場のない残酷で絶望的な彼女の運命が強烈な印象を与えるし、また『ヒロイン』のルシール・スミスの内在的な狂気の素質が次第にむき出しにされていって、遂には大惨事を引き起こすに至る病んだ心の動きが実にリアリティに富んでいて舌を巻く。