最近の読書「百舌の叫ぶ夜」逢坂剛(集英社文庫、'14.4.14)そして「幻の翼」などなど・・・そしてこの頃の所感

TBSテレビの「MOZU」が実に面白く、十数年前に読んだ逢坂剛の原作を捜したが、引っ越しを重ねるうちに行方が分からなくなってしまったので、あらためて改訂新版を買い求めて読んだ。それも一気に読んだ。鬼気迫る日本版ハードボイルド小説は、再読しても面白さに変わりはない。


 その上で、5月15日にTBS「MOZU」シリーズを見たが、原作を読んだ後とはいえ、テレビドラマ自体は急に色あせて見えるようになった。登場人物が陰鬱な表情をし過ぎるし、画面も暗い。後半になるに従い、脚本が複雑な原作のプロットをうまく掬い上げられず、破綻をきたしている。
 登場人物がみな必要以上に深刻ぶっており、また倉木も大杉もむやみとタバコを、それも咥えタバコで吸うのが目障りだった。ワイシャツの襟を広げ、ネクタイをだらしなく緩めた西島秀俊のファッションもどこか板についていない。(こうしたファッションは寺尾聡が得意としている。)
 倉木の西島秀俊は果して彼の役者としての適性に合っているか疑問だ。今人気絶頂の西島はいい役者だが、逢坂の小説に描かれる倉木のような非情さ、底知れなさ、身心ともに強靭なイメージとそぐわない。そのためか、意図的に役を作り過ぎている。
 西島は、以前NHKで放映された『ジャッジ』での島の裁判官がはまり役だった。彼には真っすぐな役が似合う。

 
 続いて、逢坂の『幻の翼』『砕かれた鍵』を読んだ、前者で描かれた精神病院はかなり時代遅れのものだが、それを抜きにすれば大変面白い。以前読んだ時からかなり時間がたっていたが、倉木がロボトミーを施されそうになる場面だけは記憶にあった。ともかく、プロの作者の手による読者を夢中にさせる見事な仕上がりとなっている。


『砕かれた鍵』は、このシリーズでは最早蛇足に過ぎない。百舌シリーズの構想は2作までで完結している。3作以降は蛇足に過ぎず、逢坂剛の特別な愛好者以外は読む必要はない。


 このところ仕事が忙しく、丹念に本を読んでいる暇がない。医療関係の職場での「人事」「経理」「総務」「リスクマネージメンメン」などの業務に多くの課題が山積し、その解決のため以前にも増して多忙になっている。加えて、株式市場のチェックのあわただしさや、何よりも加齢が原因となって、根を詰めてものを書くことがどうにもしんどいのだ。ただ疲労感と消耗感と無力感を覚えるだけだ。
 きっちりした感想を書こうとすれば、対象となる本を再読三読する必要があるが、それもなかなか時間が許さない。加えて、さまざまの要因で疲弊しているだけでなく、机上に門前市をなしている読むべき多くの本に取りかかれない現状に圧迫感と焦燥感が押し寄せてくる。もはや従来のようなやり方ではこのブログを続けることは辛くなった。どうやら、右にするか左にするかの岐路に立ってしまったようだ。


 そうこう言いながらもKindleで、『戻り川心中』(連城三紀彦)、『ヴェニスの商人資本論』(岩井克人ちくま学芸文庫)、『新訳ヴェニスの商人』『新訳マクベス』(河合祥一郎訳、角川文庫)、青空文庫で『黒田如水』(吉川英治)を読み、またペーパーでは『信長/イノチガケ』(坂口安吾講談社文芸文庫)、『ポッコちゃん』(星新一新潮文庫)、『草の径』(松本清張、文春文庫)、『黒地の絵』(松本清張傑作短編集(二))、『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫、集英社新書)などをとりとめもなく読み散らしてきたが、今一つ、パソコンに向かって読書ノートを書き綴ろうという気力が起きないのはただのスランプからだろうか。


 ちなみに既に買い求め済みで、机上で列をなして読まれるのを待つ本たちとは、今併行して読みつつある『敗者のゲーム』(チャールズ・エリス)や『ピーター・リンチの株で勝つ』(ピーター・リンチ)、『大震災に後で人生について語るということ』(橘 玲)の3冊を始め、『科学は大災害を予測できるか』(フロリアン・ディアク)、『マーケットの魔術師』(ジャック・D・シュワッガー)、『タックスヘイヴン』(橘 玲)、『株で冨を築くバフェットの法則』(ロバート・G・ハグストローム)、『プラハ、1942年』(ローラン・ビネ)、『入門経済学 第3版』(伊藤元重)、『経済システムの比較制度分析』(青木昌彦)、『禁断の市場 フラクタルでみるリスクとリターン』(ベノワ・B・マンデルブロ)、『ファスト&スロー』(ダニエル・カーネマン)などなど。