「あなたに似た人 新訳版1」田口俊樹訳(ハヤカワ文庫、'13.5.10)―芳醇なる味わい

以前、田村隆一の訳で読んだ記憶があるが、とりわけ印象に残っているのは何といっても<南から来た男>である。(ロアルド・ダールの他の作品では、『キス・キス』の中の、ヒトラーの生誕を扱った<誕生と破局も強烈な印象が残っている。)


 あらためてじっくり読み、異次元のレベルにある作品群の芳醇なワインのような味わいを楽しんだ。(単なる比喩ではない。ワイン―特にボルドーメドックの赤ワインこそ、現在、筆者の最も愛する飲み物なのである。このワインは、冒頭の作品<味>の重要な小道具となっているのだ。)
 イメージ喚起力に富んだ文章、すみずみまで神経が行き届き、皮肉と風刺そして企みに満ちた、他の追随を許さぬ完璧なテクニックを駆使した各作品の出来映えにはほとほと舌を巻く。読みつつ、まるで作者の思うがままに手玉に取られていることが分かる。
 ”訳者あとがき”で訳者の田口俊樹は、『キス・キス』の開高健の”あとがき”の「残酷で、皮肉で、うすら冷たく、透明で、シニカルな世界」というダール評を引用しているが、もしこれに付け加えるとすれば「妄想的」(<プールでひと泳ぎ><ギャロッピング・フォックスリー><毒><願い>など。)、そして「射幸心(ギャンブリング・スピリット)」(<味><南から来た男><プールでひと泳ぎ>など)であろう。


 一度目はストーリーを追って、二度目は文章の隅々まで味わって読んだ。筋書きは分かっているのに、少しも興味を殺がれることがない。匠を尽くした逸品と評していい作品のいくつかを見てみよう。


<味>射幸心が押さえられない人間の危うい本性と、それにつけ込むスノッブが詐欺漢だったという話。何食わぬ顔でクラレット(ボルドー産赤ワイン)の産地ブドウ園当てに挑むグルメ男、リチャード・プラットの鉄面皮ぶりを描く筆の冴え!
<おとなしい凶器>これ以上はないというブラックユーモアの極致。それにしてもメアリー・マロニーに見る女性の悪趣味と怖ろしさ(?)。
<南からきた男>冒頭、何気ない気怠い夏のプールサイドの描写から始まり、アメリカ海軍の練習生が煙草とライターを持ちだす場面から、一転して危険な賭けへと話が急展開する。そのシチュエーションの運びの巧妙さにはあらためて感嘆する。そして結末の残酷な怖ろしさ!この物語もやはり人間の本性に根深く巣食うギャンブリング・スピリットが決め手となっている。
 以上の作品は、いずれも記述者、<味>では”私”、<おとなしい凶器>では”メアリー”、<南から来た男>では”私”の視点と心理から描かれている。他の登場人物(<味>の晩餐会の主催者マイク夫妻とグルメ男のプラット、<おとなしい凶器>のメアリーの夫や警官たち、<南から来た男>の訓練生の若者とカルロス)の人間像は、彼らの(心理描写ではなく)会話や表情、動作によって造形される。登場人物の行動様式はやや思わせぶりの気味があり、また(訳者解説にもあるように)適度にカリカチュア化されている。
<プールサイドでひと泳ぎ>極限状況下で、自分の見たいことが妄想にまで高まってしまい、その妄想で現実の世界と人間を解釈してしまった男の悲喜劇。彼が妄想を逞しくした原因の根底には、やはり人間の隠された痼疾であるギャンブリング・スピリットがある。
<ギャロッピング・フォックスリー>学生時代のトラウマが嵩じて妄想に捉われた男に訪れた皮肉な結末。
<皮膚>元刺青師の零落した老人の背中に彫られた稀少な刺青が哀れで残酷な結末を招く。
<毒>錯覚が妄想に高まり、自縄自縛に陥る主人公。結末部分では、人間の恩知らずの本性が見事にえぐり出される。
<首>上流階級の人士の心理的なさや当てが、やや戯画的に描かれている。人物像を見事に書き分ける巧みな文章。ヘンリー・ムーアの彫刻と高慢な卿夫人の首を天秤にかけて秘かな愉悦にひたるバジル・タートン卿の端倪すべからざる心理のあやが面白い。


 ダールの日常生活というか生活の実像については、パトリシア・ハイスミスの項でも紹介した、写真家の南川三治郎『推理作家の発想工房』文藝春秋社、1985.9.1)が興味深く貴重な資料となる。この本では、ダールが「女優でもある夫人パトリシア・ニールと3人の子供と住み」と書いてあるが、夫人とは1983年に離婚している。取材後記で南川は、1982年11月から1984年の11月まで7回の取材をしたとあるから、ダールの取材が行われたは1982年頃なのであろうか。
 自宅から100メートル離れている小さな仕事場の内外が撮影されているが、その(バラックのような)質素なたたずまいの仕事場で、数々の傑作が書かれたのだと思うと一段と興趣が増す。