「小説家になる!」中条省平著(ちくま文庫、'06.11.10)−言葉の力を認識する

再読だが、やはり刺激的で啓発されるところの多い書物だ。
 タイトルのように小説を書くための直接の技法が書かれている訳ではないのだが、小説のメカニズム(第1部)を明らかにし、具体的にいくつかの”名作”(と著者が考えている作品)を取り上げて分析し(第2部)、迂遠な方法ながら小説の書き方に多くの示唆を提示している。
 また、作品の解説中に散りばめられた、著者が太字で強調するコンセプト、”行動主義””優れた風景描写は五感を総動員””サブリミナルな効果””歴史性の認識””小説という言葉の地獄を発見する物語”などは、いかにも知的遊戯の趣があって面白く、読む者の脳を大いに活性化させてくれる。

 本書で著者が取り上げた作品は意外なものが多いが、読み進むにつれ、おぼろげながら著者の選択の意図が胸に落ち、小説読みとしての眼力が納得できた。ただ心なしか、これら作品の選び方にあるバイアスがやや気にはなった。
 第1部では、『転身物語』(オウィディウス)、『催眠術師』(マンディアルグ)、『妻を殺したかった男』など(パトリシア・ハイスミス)、『黒豹ダブルダウン』(門田泰明)、『夏の流れ』(丸山健二)、『わたしは真悟』(楳図かずお)、『風の谷のナウシカ』(宮崎駿)、『自虐の詩』(業田良家)が取り上げられる。(ただし『黒豹・・・』は反面教師として。)
 第2部では、『月』(三島由紀夫)、『鮨』(岡本かの子)、『眠れる美女』(川端康成)、『蜜のあわれ』(室生犀星)『まごころ』(フロベール)など。

 著者の『反=近代文学史』や『文章読本』(どちらも中公文庫)に引用されている作品は、本書に比べればかなりオーソドックスである。本書のユニークさは、少しペダントリーの匂いがしないでもない。

 本書で、物語性を持った芸術ジャンルとして、小説と並行して映画とマンガに言及しているのは、実に正しい。現在では、映画とマンガが表現手段としても影響力にしても、また商業性でも小説を圧倒している。
 人類が他の動物に優って進化を遂げたのは、火と言葉の発明による。小説の復権のチャンスは、こうした言葉の根源的で呪術的とさえ言える力を腹の底から認識することから始めなければならない。その意味で、ここにある作品たちは、言葉が本来の在り方に近づいた奇跡的なものばかりだ。(勿論『黒豹・・・』は別だが。)
 小説は”言葉”の芸術であるにも関わらず、いま量産されて書店の店頭を飾っている作品の多くは言葉にあまりにも無頓着すぎる。読んでいて言葉に躓く作品があまりに多すぎる。もっとも、無頓着でなければこれほど量産もできないだろうが。

 前作の『小説の解剖学』は読んでいないので本書に限って言えば、ユニークな取り上げ方をされたそれぞれの作品に対する行き届いた分析には教えられるところが多く、私にとっては有益な書物であった。