「氷川清話」江藤淳・松浦玲 編(講談社学術文庫、'10.4.20)−劣化した日本人の政治家たちよ、今まさに勝海舟の声を聞くべし!

『氷川清話』には、手軽に手に入るものとして、江藤淳・松浦玲編集の講談社学術文庫版(左)と、吉本襄の流布本を底本にした勝部真長編の角川ソフィア文庫版(右)がある。
 前者の編者の一人松浦玲は、解題において、最初に『氷川清話』を編集した吉本襄を口を極めて貶める記述を繰り返しているが、その異常なほどの執念深さとリゴリスティックな物言いには少なからず違和感を覚える。吉本の読み違いや改ざんがあったのは事実だろう。ただ、角川ソフィア文庫版も読んでみたが、それなりに読みやすく、目くじらを立てるほどでもない。そもそも勝の話自体が、手柄を強調したいがための誇張や数々の勘違いに満ちていることは大いに想像出来ることだ。
 さすがに松岡正剛は<千夜千冊>で講談社学術文庫版を「吉本襄があやしげな換骨奪胎をしているのを元に戻し、さらにそうとうの補充をした。読むならば講談社文庫版である。」と言いつつも、「もっとも、ごくごく現代語で軽く読むには勝部真長編集の『氷川清話』がある。」と大人の対応をしていて懐の深さを感じさせる。

 そもそも、さまざまな人たちが赤坂氷川町の勝邸を訪れて回顧談を引き出し談話筆記されていたものを、吉本襄がまとめて一本にして『氷川清話』として刊行したのは明治31年と推定されている。(勝部真長による角川ソフィア文庫版の”まえがき”より)まことに古い話で、吉本にもそれなりの功績はある訳だ。

 この本の内容は功成り名を遂げた勝翁の往古を偲ぶ自慢話と目新しくもない説教話で、現在の目から見ると、”幕末維新は遠くなりにけり”という感を否めない。人物評も好悪の感情に左右されることも多く、客観性においてどうかな、と首を傾げるものも散見される。例えば、西郷隆盛を初めとする薩摩人への好意はあまりにあからさまで、他方で、伊藤博文陸奥宗光には相当辛口で政治的評価は低い。
 勝が最も高く評価しているのは、「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小南と西郷南洲とだ。」と述べているようにこの二人だ。特に西郷への傾倒ぶりは突出している。江戸無血開城の相手方官軍の代表として親しく膝を交えて、その鬼気迫る交渉の中でこれ全身”正心誠意”の塊である西郷の人格が勝の感性に強く響いたからであろう。

 政治談議にはそれなりに卓見が見られる。徳川幕藩体制の崩壊という激動する時代の渦中にあって、長く天下の経綸に携わり培ってきた勝の眼力はさすがである。
 例えば、本書に東北の津波に関する談話がある。勝は政府の役人の対応を強く非難し、むしろこういうときの救済策は、徳川時代の遣り口のほうがずっと優れて行きとどいていたと強調している。この津波明治29年の”明治三陸地震”のことである。東日本大震災を担当する政府の役人は、まだ遅くはないから今すぐこれを読むべきである。

 また、国家経営における経済の重要さを繰り返し強調しているのはすごくまっとうである。それに比べ、経済を軽視している今の政権の幼稚さは目を覆うばかりである。
 勝は、その点で北条政権を高く評価する。「一番感心するのは北条氏の政治だ。元寇が三年続いても、軍事公債は募らず、・・・陪臣であって九代も続き、しかも国冨み、民服したのは、もっともの次第だ。」と言い、さらに「北条氏の政治家はいずれも無学文盲で、後醍醐天皇の勅文をさえ読むことができなかった。しかし、実際の手腕は、あのとおりサ。おれは、学者が役に立たないといふことを、維新前からよくよく実験したヨ。」と述べる。勝本人は若い頃には大いに学問に励んだ人物にも関わらず、こういう見解を披歴しているのは面白い。北条一門が本当に無学文盲であったかは大いに怪しいものだが、机上の学問が無用の長物であることは幕末維新の激動の中で死線を潜りながら命懸けで体得したものに違いない。

 勝の有名な言葉、「世間は生きて居る。理窟は死んで居る。」はこの本に出てくる。この言葉は、横井小南についての記述の中に素(もと)がある。勝は小南の識見に服したいきさつと理由を次のように述べている。
「世の中の事は時々刻々転変窮まりなきもので、機来たり機去り、その間、実に髪を容れずだ。この活動世界に応ずるに死んだ理窟をもってしては、とても追い付くわけでない。横井小南は確かにこの活理を認めて居た。当時この辺の活理を看取する眼識を有したるは、ただ横井小南あるのみで、この活理を決行する胆識を有したるは、ただ西郷南洲あるのみで、おれがこの両人に推服して措かざりしは、これがためである。」
 
 しかし、引き合いに出すのも気の毒だが、政治論としては、複雑怪奇な15〜6世紀のルネサンス期イタリア政治の世界を生き抜き、人間と社会を透徹した目で見抜いていたフィレンツェマキャヴェッリの恐るべき眼識には比ぶベきもない。

 この本を読んで役に立つと思われるのは、現在の日本の政治家たちである。政治家と呼ぶのも恥ずかしい劣化した有象無象の彼らには勝の言葉は良い薬になるであろう。本書の効用は一にも二にもそこにある。それとも、もはや〇〇に付ける薬はないのだろうか・・・。