「数学的にありえない」(アダム・ファウアー著、矢野誠訳:文春文庫、09.08.10)

驚いたのは、今年の1月15日に”Nature Physics”電子版に掲載されて世界中で話題になった<小澤の不等式>の実験実証の7年も前に、小説とはいえ(この小説は、アメリカで2005年に発表された)、登場人物の一人(トヴァスキー)の口を借りて、ハイゼンベルクの<不確定性原理>は間違っている、と言わせたことだ。そして、<不確定性原理>を否定し、古典力学に基づく決定論を象徴する存在<ラプラスの魔>として運命づけられた主人公ケインの予知能力を中心に物語は進む。
 ニュートン決定論では、「宇宙は不変の法則に支配されており、不確定なものなどなにもない。究極の統一理論が解明され、ある時刻における宇宙のあらゆる情報があたえられれば、未来は完璧に予言できる。」のである。
 
 ただ、<ラプラスの魔>であるケインの予知能力の秘密は集合的無意識にアクセスしやすいことであるとしている部分は、小説とは言え、やや違和感を覚える。

 これは勿論単なる物語に過ぎないが、決定論を想定した<ラプラスの魔>を登場させるには、どうしても<不確定性原理>を否定しておかなければストーリーは成立しない。
 不確定性原理は、この本の要を得た説明を引用すると、「ハイゼンベルクが1926年に発表した有名な論文で、ある現象を観察すればかならず結果に影響を与えてしまうことを数学的に論証してみせた。・・・ここから導き出されるのは、物質粒子の位置と運動量を同時に観測することは不可能であり、物質界にはつねに一定の不確実性が存在しているという結論である。」
 この理論などが基になった量子論が明らかにしているのは、自然現象の未来を完全に予測することは不可能で、結末はサイコロを振って決まるような確率的なものである、ということである。

 名古屋大学小澤正直教授は、2003年に<小澤の不等式>を提唱していたのだが、ついにと言うべきか、ウィーン工科大学の長谷川祐司准教授らが、中性子のスピン測定という方法で実験をした結果、物体の測定が誤差ゼロで実現できるという小澤理論が裏付けられたというのである。
 小澤理論は不確定性原理を否定したのではなく、ハイゼルベルクの式の修正であり、今回のウィーン工科大学の長谷川准教授らの実験で、ハイゼルベルクの式が成立しない測定があることが実証されたのである。(<小澤の不等式>については「日経サイエンス」の記事を基にした。)

  ちなみに「ラプラスの魔」とは、フランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された量子論登場以前の古典力学の終着点ともいうべき概念で、”もしある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なものは何もなくなる”という結論から生まれた想像上の抽象的生物で、ドイツの生理学者のデュ・ボワ=レーモンが”ラプラスの(悪)魔”と呼び始めたものである。
 
 なお、<小澤の不等式>による不確定性原理の修正と似たような物理学上の大事件として、昨年9月に光より早い素粒子ニュートリノを観測したという発表があった。しかし、今年2月23日にこの実験がどうやら間違いであったと言う可能性が浮上したのである。英科学誌ネイチャーによれば(1)実験で時刻の補正が正しく行われなかった(2)GPSと基準となる時計の接続に欠陥(光ファイバーケーブルの緩み)があった、というお粗末なものであった。5月に再実験を行うらしいが、質量を持つ全ての物質は光速を超えることができないとした泉下のアインシュタインもひとまずほっとしたことだろう。
 
 本書の原題は”IMPROBABLE”で、「数学的に・・」は訳者が補ってつけたものである。「物理学的に・・」ではないのは、ハイゼンベルク自身は物理学者だが、不確定性原理の証明は数学的に行われており、加えてラプラスが数学者であるからであろう。
 なお、”証明”に関し、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」(新潮文庫)の中で、(物理学を含む)科学理論と数学理論の違いが、<隅を切られたチェスボード>の問題を例に分かりやすく説明されていて参考になる。(同書60〜63頁)

 また、主人公ケインの癲癇の発作、ケイン双子の兄のジャスパー・ケインの統合失調症が、予知能力と関係あるらしいという描写があるが、別に医学的な根拠が示されるわけではなく、サヴァン症候群など、昔から知的障害と常人の及ばぬ特別な能力が結びつくことがあることから、精神疾患と予知能力の関係を暗示するためにあえてキャラクターに取り入れただけのとこであろう。まあ、これは小説だからこれ以上言うのは野暮だろう。

 予知能力を持つ主人公が登場する小説では、「訳者あとがき」にもあるように、スティーブン・キングの「デッド・ゾーン」を筆頭に多数の先達がある。しかし、この作品のアイデの卓抜さは量子論を(主人公ケインにまつわる部分だけとはいえ)否定し、ニュートン力学決定論を持ちだしたことにある。
「デッド・ゾーン」は1983年にデヴィッド・クローネンバーグにより映画化され、主人公のジュニー・スミス役のクリストファー・ウォーケンと、新進の政治家スティルソン役のマーティン・シーンが好演し、比較的原作に忠実な、優れた出来栄えの映画となっている。多くのキング作品の映画化の中では、「ランゴリアーズ」とともに最も好き作品である。
 しかし「数学的にありえない」は映画化の極めて困難な作品である。無理に映像化しても、科学的部分の面白さは表現が難しく、下手をすればアクション場面のみが突出したB級スプラッター映画になりかねない。

 本書を読む前に、楡周平の「Cの福音」を読みかけたのだが、無意味な描写と安易な文章に躓き、以前購入してそのままになっていた「数学的にありえない」につい手を伸ばしたのだ。最初のギャンブルの場面からあっという間に引き込まれ、土日の2日間で夢中で読み終えてしまった。比類のない面白さと、巧妙にして複雑を極めるプロット、一癖も二癖もある登場人物たちの確かな性格描写、手に汗を握るアクション場面の連続、物語に血肉となって溶け込んでいる確率論や統計学量子力学などの科学的知見、巧みな文章、どれをとっても一級品である。日本の小説にたまに見られる説教臭さは全くない。最近読んだ海外作品の中ではでは’08年のトム・ロブ・スミスチャイルド44」(新潮文庫)と並ぶ、見事というしかないエンターテインメントの超のつく傑作である。