「沈黙者」折原一(文春文庫、'04.11.10)と「田舎教師」田山花袋(新潮文庫)−埼玉県北(東)部について語ろう

「沈黙者」は、書店で佐野洋氏の解説を拾い読みして購入したが、一気に読みとおすような強い魅力は感じなかった。ただ筆力は、先に読んだ綾辻行人を上回るように思える。なにしろ、読んでいて文章に躓くことが少なかったから。
 叙述ミステリとはいえ、まあ、それなりにフェアな作りになっていて好感がもてた。もっとも、文庫の裏には、「巧緻を極める折原ミステリーの最高峰」とうたい文句を載せているが、おいおい文春さんよ、と言いたくなる。これが折原一の代表作であれば困るだろう。

 ストーリーは、一人称、二人称、三人称が交叉して出てくる割にはそう煩瑣ではなく、工夫されたトリックも特に非現実的・空想的ということもない。本作品は比較的すっきりした普通の作品であり、心配していた奇矯さをも免れている。事件の真相は、うっすらとした予測はあったものの実際は最後まで分らなかったが、謎が解けて、ああそういうこともあるか、と納得できる範囲内に収まっていて、構成にも無理は感じなかった。
 そうは言っても、いかにも最近の日本のミステリーらしい辛気臭くちまちました小説であることに間違いはない。

 本書は特に感想を述べるほどの作品ではないが、(年齢のせいか)最近忘れやすくなっているので、備忘的に読んだ記録として書き記しておきたい。

 このミステリの舞台になっている久喜を中心とした埼玉県北(東)部は、私にとって相当に土地鑑のある地域である。久喜を経由して幸手や茨城東部(五霞町、境町、下妻市)へは頻繁に訪れている。また加須へは月に1回は必ず赴く用件があり、行田、熊谷へもしばしば足を向けている。その意味では親しみを感じつつ読んだ。
 この地域は、物語の舞台に設定するには極めて地味な土地柄で、よくこのような場所を舞台にしたと思っていたら、作者がここ久喜の出身ということが分り納得した。

 この辺りを舞台にした作品としては、最近では久喜にも近い行田の忍城を舞台にしたのぼうの城がある。その昔では館林出身の田山花袋田舎教師の舞台がやはり埼玉北部の羽生(花袋の妻の兄のゆかりの土地)や行田、熊谷である。他に加須や茨城の中田(現、古河市)なども登場する。

 以前読んだのは記憶も定かでないほど昔なので、今度あらためて読み直してみた。物語自体は、福田恒存の解説のとおり、「主人公の影が薄いばかりでなく、作品そのものも、力作であるにもかかわらず、妙に影の薄いものとなって」いるのだが、興味を持ったのは、明治の関東の田舎町や里山の風物と自然描写である。私の子供の頃の昭和20年代の風物のと似たところがあり、妙な懐かしさを覚えた。福田恒存は、やはり解説の中で、花袋について、「かれの本質はあくまで善良なる市民であり、文学者としてはせいぜい傍観者的紀行文作家に過ぎなかったのです。」と述べているが、肯ける指摘であり、小説としてはまことに退屈であった。

 しかしこの作品には、ちょとした自然描写にも、はっとするような美しさがある。当時の人々の貧しくも簡素な生活ぶりも描かれていて胸を打つ。福田が解説を書いた日付は昭和27年なので、この明治の田舎のような雰囲気はまだ日本の各地にあっただろう。『田舎教師』は、このように、主人公の小学校教師林清三の、青春の蹉跌というには余りに哀れで無気力な人生を追うのではなく、明治の北(東)関東の紀行文として読めばそれなりに興趣が湧いてくる。

 主人公の清三が利根川渡良瀬川と合流する辺り)を渡って、かつて日光街道の八番目の宿として栄えた茨城の中田宿の遊郭へ通う描写なども、当時の風物や人々の生活観がよく分かってなかなか面白い。なお、この作品は明治42年に書かれたとされているが、当時の中田宿は現在河川敷となっているところにあったそうで、明治44年の河川改修で現在の古河市中田に移っているとのこと。

<羽生の野や、行田への街道や、熊谷の町の新蕎麦に昨年の秋を送ったかれは、今年は弥勒野から利根川の河岸の路に秋の静けさを味わった。羽生の寺の本堂の裏から見た秩父連山や、浅間岳の噴烟や赤城榛名の翠色には全く遠かった。利根川の土手の上から見える日光を盟主とした両毛の連山に夕日の当る様を見て暮した。>

渡良瀬川の渡しをかれは尠(すくな)くとも月に二回は渡った。秋は次第に更けて、楢の林の葉はバラバラと散った。虫の鳴いた蘆原も枯れて、白の薄(すすき)の穂が銀(しろがね)のように日影に光る。洲の顕われた河原には白い鷺が下りて、納戸色になった水には寒い風が吹渡った。>

 また、下記の文などは、まるで志賀直哉の短編の一部を思わせる風情がある。
<行田から羽生に通う路は、吹きさらしの平野のならい、顔も向けられないほど西風が烈しく吹荒(ふきすさ)んだ。日曜日の日の暮れ暮れに行田から帰って来ると、秩父の連山の上に富士が薄墨色に分明(はっきり)と出ていて、夕日が寒く平野に照っていた。途中で日が全く暮れて、さびしい田圃(たんぼ)道を一人てくてく歩いて来ると、ふと擦違った人が、
赤城山なア、山火事だんべい」
といって通った。>

 作品中には、羽生の名産品である青縞(藍染)を織る様子が出てくる。花袋の生まれた館林は、利根川を挟んで羽生と近い。この辺の描写はさすがに自家薬籠中のものがある。
<青縞を織る音が処々に聞える。チャンカラチャンカラと忙しそうな調子が絶えず響いて来る。時には四辺(あたり)にそれらしい人家も見えないのに、何処で織っているのだろうと思わせることもある。唄が若々しい調子で聞えて来ることもある>

 この作品では、日露戦争の捷報で沸く世相を背景に、病が嵩じて次第に衰弱していき、やがて死に至る清三の短くも幸薄い生涯が描かれ、読む者の哀れを誘う。しかし、この物語の最後で、教え子であった田原ひで(らしい人物)が墓参に訪れ泣いた様子や、それから2年ほどして彼女が羽生の小学校の女教員をしているという話が出てくるが、読者はここに一抹の救いを感じるのである。
 
 そして最後の行では、日露戦争の勝利から、日本が近代国家として内外とも大きな変化を迎えるという、時代が大きく転換する予兆が”汽車の凄まじい響き”に仮託される。 
<秋の末になると、いつも赤城おろしが吹渡って、寺の裏の森は潮のように鳴った。その森の傍を足利まで連絡した東武鉄道の汽車が朝に夕に凄まじい響きを立てて通った。>

 この作品は、日本がまだ近代国家へと変貌を遂げ切らない時代、徳川から明治への移り変わりがようやく緒についた頃の日本の貧しい世相の記録としても読むことができるであろう。花袋はこの時代の空気を吸って育った作家なので、描写にもリアリティがあり、貴重な記録となっている。

 ちなみに、私の愛読する山田風太郎の、いわゆる”明治物”(例えば「警視庁草紙」「明治断頭台」など)には山田の言う明治初年の<空白の時代>(明治6、7年頃まで)が舞台となっているものが多く、この時代に強い関心のある私にとっては極めて興味深く、作品はどれも優れているものの、作者は遠く離れた時代から見ているので、どうしてもフィクションとしての側面が強く出てこざるを得ない。
 この<空白の時代>及びその前後の時代については、福沢諭吉福翁自伝勝海舟「氷川清話」、あるいは司馬遼太郎「歳月」を読めば少しは分るが、日本の近代史上もっとも謎の多い時代であった。

 最後に少し蛇足を付け加える。羽生は青縞の産地ということは前述のとおりだが、他の町では、忍城のある行田は、もともと足袋の産地として有名であり、埼玉古墳群(稲荷山古墳・二子山古墳など9基の大型古墳群)が存在することでも知られる。加須はこいのぼりの生産が日本一であり、他に(私もよく食べたが)加須うどんが名物だ。久喜は八雲神社の祭礼の提燈祭り・天王様が有名である。
 みな地方の小さな町だが、それぞれ歴史的に由緒のある名産品や観光資源を有していて、興味深い。