「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン著、青木薫訳:新潮文庫、平成18年6月)

 私のような生来数学的思考回路を辿ることを不得手としてきた人間が、果してこのような専門的な数論に取り組んだ著作を最後まで読みとおせるのか、大いなる不安を持って読み始めた。しかしそれは見事に杞憂に終わった。それどころか、ピュタゴラス、エウクレイデス(ユークリッド)、ディオファントス、ピエール・ド・フェルマーブレーズ・パスカルレオンハルト・オイラーカール・フリードリヒ・ガウス、クルト・ゲーデルアラン・チューリング、谷山豊と志村五郎、エヴァリスト・ガロア、そしてこの本の主人公アンドリュー・ワイルズといった個性豊かな数学界の千両役者たちが次々登場し、彼らの手に汗握る数奇な生涯をたどる歴史ロマンに完全に魅せられ、著者の卓越した筆力と相俟ってぐいぐいと読み進むことができた。

 フェルマーの定理の基礎になっているのは、私たちが中学校で習うピュタゴラスの定理である。
 <直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい> 
 x^2+y^2 = z^2

 フェルマーは、愛読していた、古代アレクサンドリアの数学家ディオファントスの著書「算術」(フランスのガスパール・バシェがラテン語に訳した本)の余白に、以下のような考えを記していた。
<ある三乗数を二つの三乗数の和で表すこと、あるいはある四乗数を二つの四乗数の和で表すこと、および一般に、二乗よりも大きいべきの数を同じべきの二つの数の和で表すことは不可能である。>

 従って、フェルマーの最終定理は次の方程式で表すことができる。
 x^n+ y^n = z^n
 この方程式はnが2より大きい場合には整数解を持たない。

 フェルマーは更に「算術」の余白に以下のようなメモを書き添えていた。
<私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことができない。>
 このメモが、後代の数学者を悩まし続けることになる。フェルマーはこの証明の詳細を誰にも伝えていなかったのである。この問題を解くのに、人類最高の英知の持ち主がよってたかってもどうしても敵わず、ついにアンドリュー・ワイルズが証明に至るまで実に300年という気の遠くなるような年月を要したのだ。

 この小学生でも理解できる簡単明瞭な定理の証明に、多くの天才数学者が挑んでは挫折してきた。これには数学の証明ということの意味が絡んでいる。数学の証明は、公理を出発点に論理的な議論を積み重ねて、疑問の余地のない結論を得る必要があり、その結論は永遠に揺るがない。それは反駁の余地のない完全無欠な結論でなくてはならず、近似ではだめなのである。
 この設問の分かりやすさは、同じ数学上の難問である<リーマン予想>と大きく違う点である。後者では、オイラーの提唱したという”ゼータ関数”が登場すると、私にはもう問題を理解することさえ困難になる。

 この本に次のような数学をめぐる興味あるエピソードが次々と登場してくる。
1、都市の興亡に翻弄され、その運命を共にしたアレキサンドレア図書館の歴史。
2、天才レオンハルト・オイラーの波乱の生涯。
3、虚数(i)の発見。
4、女性数学家のソフィー・ジェルマンの女性であるが故の偏見の中で成し遂げた数学の分野への多大な功績と孤高の人生。
5、ドイツのエニグマ暗号解読に取り組み、コンピューター誕生に大きな貢献したアラン・チューリングと不可解な死に至るその生涯。
6、日本の数学者谷山豊と志村五郎の作り上げた楕円方程式とモジュラー形式に関する、いわゆる「谷山=志村予想」なる理論と、谷村の早すぎる自殺死(享年31歳)。
7、19世紀の悲劇の天才エヴァリスト・ガロアの、当時の最大級の難問である五次方程式解法の見つけ方を定式化した見事な洞察と、政治的情熱と非業の死(20歳)。
 ガロア二重写しになるのは、ガロアより2年遅く生まれ、ガロアより5年遅くチフスに罹って夭折した同時代のドイツの作家ゲオルグビューヒナーである。政治的扇動文書『ヘッセンの急使』の執筆者としてのビューヒナーの政治的情熱と急進的革命思想はガロアに引けを取らない。7月革命に影響された点でも共通している。
8、そして紆余曲折を経て、フェルマーの定理の完全証明に至るまでのアンドリュー・ワイルズの悪戦苦闘の記録。

 フェルマーの定理の魔力にのめり込んできた数々の天才数学者たちの数奇なドラマを読み終え、心にずっしりとした手ごたえが残った。まさに数式を巡る優れた推理ドラマを読む思いであった。