「死にたい老人」(木谷恭介、幻冬舎新書’11.9.30)を読んで、自死について考える

’11年12月4日の「死ぬ気まんまん」の中で、木谷恭介氏の断食による餓死の試みに言及したが、標記の本は木谷氏本人によるその自死決行の記録である。
 読んで感じたのは、人の生への強い執着である。飽食のこの日本で餓死をした人のケースを見ると、そうした方々は、貧困や老齢などによる身体の不自由から食料品が手に入らず、かつ社会から取り残された孤独な人たちであって、著者のように、食料品の入手など生活に何の不安もなく、常に親しい医者や身を案じてくれる友人に取り囲まれている幸せな人とは次元が異なる。

 著者は理念的な死生観を基に「断食安楽死」を試みているが、苦しい中から生きる言い訳がいくらでも出て来て、著者のような環境にある方が本当に餓死し切る困難さはこの書に見る通りである。結果的には、「断食安楽死」が成就しないでよかったのではないか。
 著者の本は、他には読んだことはないし、これからも読む機会はないだろうが、この書は老人大国へ向かいつつある日本人の死生観に一石を投じている。ただ、深沢七郎の「楢山節考」のような宗教的な高みには程遠い。まあ、これは無いものねだりというものだろう。
 歴史上、理念に殉じて餓死したのは、「周の粟を食わず」と言って首陽山で死んだ伯夷叔斉くらいであろう。

 生は天から与えられた賜物であって、自分の意志で生死を扱うのはやや傲慢なのかもしれない。昔の切腹は措くとしても、現代に入って理念として自死を決行したのは、三島由紀夫などごく少数である。芥川、太宰などの作家の自死の原因には、統合失調症境界性人格障害などの精神の病があると言われている。自死はしていないが、夏目漱石にも同様の病いの疑いがある。ただこの辺は微妙なものがあり、短兵急に論じることは差し控える。

 狂気によらず理念として自死したのは、上述の三島由紀夫の外、江藤小三郎、野村秋介、影山正治村上一郎若泉敬などナショナリズム的心情の持ち主が多い。かれら一人一人について語れば切りがないが、簡単に言おう。江藤は名前から分かるとおり江藤新平の曾孫で、国会議事堂前で憂国の想いから自決(諌死)、享年23。野村は周知のとおり朝日新聞本社内で拳銃自殺、享年58。影山は元号法制化を訴え、自ら開いた大東農場(青梅市)で割腹した上、散弾銃で自決、享年68。二・二六事件を高く評価し肯定していた村上は自宅で日本刀で頸動脈を切り自決、享年54。村上は躁うつの傾向があったともいわれる。若泉は、佐藤栄作の密使として沖縄返還交渉に重要な役割を果たしたが、核密約の当事者として歴史への結果責任を取るとして、青酸カリで服毒自殺を遂げている、享年67。

 少数だが、左翼にも対馬忠行、船本洲治というサムライがいる。前者はスターリン批判の先駆的存在であり、航行中のフェリーから入水自殺、享年77。後者は釜ケ崎・山谷の闘争で指導的役割を果たし、沖縄嘉手納基地前で焼身自殺を遂げた、享年29。拘置所などで自殺した森恒夫、斎藤和などテロリストたちは同日には論じられない。

 印象深いのは、哲学者の須原一秀(享年65)と文芸評論家の江藤淳(享年66)であるが、ここでは述べる余裕がないので、またの機会としたい。

 余談だが、対馬を除いて全員私より年下であるのが一層身につまされる要因である。また私事だが、ここまでの人生で多くの知り合いの自死を見て来た。その原因は実に様々であり、思い返すとそれぞれ已むに已まれぬものばかりであったと思う反面、精神の持ち方次第では死なずに済んだのではないか、という気もする。
 
 自死を可能にするのは、まずはうつ病などの狂気や重篤な疾患による肉体的苦痛であるが、でなければ解決困難な経済的奈落に落ちた場合、また様々な状況に追い詰められて精神が限界に達し、崩壊寸前まで行った場合、そして強い宗教的、哲学的あるいは政治的信条、そこから生まれる現状に対する深い絶望、など精神の平衡を失うか、何らかの強烈な信念によってしか、人は死の恐怖を乗り越えてなお自死に至ることはできないのではないか。

 本書の著者の言う「もう、充分に生きた。・・・やるべき事はやったと思っています。思い残すことはありません。これ以上、生きることに執着すると、残る人にどんな迷惑をかけることになるかしれません。・・・断食で全身からエネルギーを落とし、枯れるように死んでいこう。」という考えは痛いほど理解できる。しかし死は枯れるようにはやっては来ないだろう。第1章の<断食死をめざして、38日間>を読むと、断食の最中に訪れる様々な妄念や肉体的苦痛、そして生への強い執着がよく分かり、著者の試みは多とするものの、これではなかなか死へのモチベーションを持続するのは困難と思う。しかしこの書で、曲がりなりにも死を決意した人間の極限状況での心の働きはよく理解できた。

 第3章の<ぼくはなぜ断食安楽死を決意したのか>は散漫でやや余計だが、全体として著者が披歴している死生観には共感できるところが多い。