「ソクラテスの弁明」(1)出隆先生の小さな思い出

年末を控え、今年中に片付けなければならない仕事が山積し、ゆっくり本を読む暇がない。そんな間を縫って読んだのが、岩波文庫の「ソクラテスの弁明」(久保勉訳)であった。遥か昔に読んだこの古典を再読しようとしたきっかけは、産経新聞に連載されている同紙文化部編集委員の関厚夫氏による以下の連載を目にしたからである。

 11月25日の紙面の「次代への名言」<温故知新編(55)>に次のようなソクラテスの有名な言葉が引用されている。
「諸君、死を免れるより悪徳を免れるほうが遥かに難しいのです。なぜなら、悪徳の方がずっと早くしのびよってくるからです」
 この言葉の典拠は、勿論プラトンの「ソクラテスの弁明」だが、岩波文庫版の54頁にある久保勉の訳文は次のとおりである。
「だからどんな危険に際しても、もし人がどんな事でもしたり言ったりするつもりでさえいるならば、死を免れる方法はなお他にいくらでもあるのである。否、諸君、死を免れることは困難ではない。むしろ悪を免れることこそ遥かに困難なのである。それは死よりも疾く駆けるのだから。

ソクラテスの弁明」の翻訳で私の手元にあるのは、上記の岩波文庫の外に、筑摩書房の世界古典文学全集「プラトン1」の田中美知太郎訳と、講談社学術文庫の三嶋輝夫訳の三つである。
 三嶋訳は、まだ購入したばかりで、現在読みつつあるところだ。その感想はまたとするが、ソクラテスで思い出したのが、ギリシャ哲学の泰斗であった出隆先生である。

 昭和36〜37年頃であろうか(いずれにしても昭和34年入学の私の大学在学中に)、出隆先生の講義を一度だけ聴講したことがある。先生は既に東大を辞められていたが、まだ日本共産党を除名される(昭和39年)前のことである。私の通学していた大学へは出張講義であり、それも年に一度くらいのものであった。
 昭和36〜37年頃と言えば、昭和35年が1960年だから、まだ安保騒動の余韻が時代を色濃く染めていた頃だ。歴史上の1960年代とは、混沌としつつも、20世紀でも最もヴィヴィッドで、人類最後とも言える様々な文化現象が繚乱とした時代であった。私は幸運にもこの時代のほとんどを、20歳代として過ごしたのである。

 私が学んだ大学は地方の国立大学で、大学とは名ばかり、当時はまだ旧制高校時代の古い校舎が使われており、教員の数も不足していて、主要な科目でさえ他大学の教員による年一回の出張による集中講義が行われていた。私が専攻した法律学で言えば、刑法は木村亀二教授、民事訴訟法は斎藤秀夫教授など、東北大学錚々たる教授に教わったものである。
 また、以前の旧制高校の卒業生には、たしか綱淵謙錠氏、百目鬼三郎氏、丸谷才一氏、野坂昭如氏などがいた筈である。

 専攻学科が違うので、出隆教授の哲学の講義はもぐりで聴講したのだが、それにしても僅かな学生しか出席していなかった。哲学を学ぶ学生などは全部で数名しかいないという人気薄の専攻科だったから止むをえまい。別の機会に、やはりもぐりで聴講した伊吹武彦教授(京大からの出張講義)の「フランス文学史」の教室が聴講者で溢れんばかりの盛況だったのとは比ぶべくもなかった。哲学は昔も今も退屈な学問の典型と言えよう。私見だが、この事態のほとんどは、まるで心を病んでいるかのように屈折したドイツ観念論にその責任があるといっていいだろう。

 当時のわが大学の哲学教授は2名で、うち1名はマルクス主義哲学を講じていたという記憶がある。何しろ当時はマルクス主義全盛時代で、私のような世の中から一歩引いたような人間でさえ、時の勢いに乗せられ、学内の<唯物論研究会>に参加して、皆と一緒に「唯物論教科書」などを講読していたのだから。

 私は「哲学初歩」で高名なこの碩学に、とにかく直接口を利いてみたい一心だけで、講義終了時に講壇へまっすぐ向かい、何かつまらない質問をしたのが懐かしい記憶となっている。不勉強な学生のどうでもいい質問に、私にとっては雲の上のような存在の大碩学が丁寧に応えて下さったことは、今でもささやかな自慢の種である。

 ソクラテスでちょっと思い出したので、記してみた。
(続く)