「怪しい来客簿」色川武大著(文春文庫'89.10.10)―行間にうごめく存在の不気味

手元に2冊の文庫版「怪しい来客簿」がある。一つは角川文庫版で、昭和54年5月30日再版(写真左)である。もう一つは文春文庫、1996年(平成8年)7月30日第5刷(写真右)である。解説はともに長部日出雄氏だが、後者には色川氏が亡くなった後に書かれた付記がついている。
 元は単行本として、話の特集から昭和52年4月に刊行されたものだ。
 2冊も持っているのだからきっと関心はあったのだろう。しかし、この本をこれまでちゃんと最後まで読んだと言う形跡も記憶もない。辛うじて覚えているのは冒頭の『空襲のあと』くらいか。もっとも、作者のもう一つの筆名である阿佐田哲也の「麻雀放浪記」は、かつて愛読した時期があった。

 この度改めて「怪しい来客簿」の連作を読みながら、色川武大の紡ぎだす虚実定かならぬ世界にぐいぐいと引きずり込まれ、時折本を閉じては感嘆のため息をついた。読みながら重いものがずっしりとと心に残っていく。これはまぎれもない傑作である。
 まずその含蓄と奥行きを備えた文章の力に圧倒された。
 例えば、戦争が終わった後の気分を次のように表現しているが、私にはまるで戦争を体験した詩人が書いた見事な詩の一節のようにまことに眩(まばゆ)く見えた。

「ある日不意に戦争が終わって、私の未来におおいかぶさっていた痛苦が溶けていった。晴れ渡った空に飛行機雲が浮かび、庭に茂った南瓜の葉のあたりをゆらりと蝶が舞う。現金なもので、昨日まで何を見ても痛苦の尺度でしか判断しなかったくせに、今日は痛苦とは無縁のものがあるがままの姿に思える」(『尻の穴から槍が』)

「・・・、突然戦争が終わった。/そのとたんに、あれほど厭悪していた軍隊に対する気持ちがスツと消えて白紙の状態になった。私自身の将来にそれ等がのしかかってこなくなったからであろう。戦争中の厭戦感は好戦的な姿勢と同じく、あまり当てにはならない。」(『スリー・フォー・ファイブ・テン』)

 恐らく、戦争が終わった直後の国民の気持ちはこのようなものだったのだろう。その時の日本国民の心理転換のからくりをこれほど巧みに解きほぐした文章はかつて見たことがない。終戦を境として、価値観の転換をやすやすと成し遂げた日本国民の心の在りようを見事に探り当てた文章である。

 この作品集を、私は3〜4日かけて、楽しみながらゆっくりと読んだ。多分、小説と言うよりはエッセイと呼んだ方が適切かもしれないな、と思いながら。それほどここに書かれたエピソードが事実に即したものと思えたのだ。戦争前後の日本の風俗や個性あふれる登場人物たちの生き生きとした姿が心を打ってやまない。特に老婆が登場すると、一段と筆が冴えるように思えた。『空襲のあと』のウメさん、『名なしのごんべえ』の露店の南京豆売りのお婆さん。

 この老婆たちが登場するたび、なぜか存在の不気味さと不安が襲ってくるように思える。老婆の姿がそのまま不定形の存在の塊りとなってわれわれに迫ってくる。不定形のふにゃふにゃした存在の原形が見えたとき、われわれの中に不快で不安という感覚がたゆたう。著者がウメさんの顔をそれと知らず踏んだときの言い知れぬ恐怖感がまさにそれだ。この感覚は、この作品集に一貫した通奏低音となっているようだ。
 著者は『門の前の青春』のなかで、存在の不安に直面したときの心理を次のように述べている。
「大滝が”意味”から”存在”に関心を示したように、私も”存在”だけの不安を”意味”でおぎなおうとしていた。」 

 逆に存在の欠落も不安を招く。『墓』のなかに、祖父が外で作って赤ん坊のうち死んだ二人の子を故郷の墓に土葬して、30年後に墓石をあけたとき、屍が土と化し、痕跡もとどめていなかったというエピソードがある。ここには存在の欠落の不安がブラックホールのようにぽっかり口を開けている。存在したものは、いつかは跡形もなく消え失せるという不安!

 ちなみに、私は著者よりも一廻りほど若い世代だが、それでも僅かながら戦争のはしばしの記憶を抱きながら生きてきた。こうした世代の者は、人間や社会が決して堅固で確かなものだという世界観の住人にはあらず、常に崩壊感覚を抱きつつ辛うじて生きている存在なのだ。象徴的なたとえ話をすれば、死ぬ前に是非ともの世の終わりを見てみたいとさえ願っている人種なのである。

 この『墓』の冒頭の夢幻のような文章は、まるで内田百間(本来は門構えに月)の世界を思わせる。長部日出雄氏は、解説の中で、色川武大の世界を、「事実ありのままのようであって、そのまま白昼夢か悪夢のように思える。」と喝破し、このシュールレアリズムの世界は、吉行淳之介野坂昭如筒井康隆に続くもう一人の、そして全く独自なシュールレアリスト、迷宮世界の道案内人・・」と書いているが、この三人の先達の誰よりも先ず、内田百間を挙げるべきであったろう。

 この作品集は、一度通読してしまえば、あとは折々に触れ関心の湧いた部分を読めばいいのだが、さて、最後の『たすけておくれ』は最も頁をめくることが多くなりそうな、老境にかかる私の心を鋭く突き刺す作品だ。
 ここには著者が胆石の手術で入院した時の治療の経緯が痛いほど生々しく描かれている。講談社学芸文庫の著者の年譜を見ると、著者が47歳の時の出来事である。種々の行き違いによる手術の手おくれで、炎症のため気泡が胆管に残り、大学病院(年譜によれば東大病院のこと)に担ぎこまれてさまざまな検査と治療を施されて苦悶する自らの姿を冷静に、しかも執拗に記録している。

 ここでは、直截に死生観が語られることはないが、作品全体を静かで優しい諦観が支配している。また医師を見る目も神様のような優しさに満ちている。それは、次のような文章を読めば分かる。この作品集で最も心を打たれた文章だ。著者はまるでお釈迦様のような人だと私は密かに思った。術後の容体がはかばかしくないため、医師もどこかにミスがなかったのか悩んでいる状況の中で、著者は次のような感懐を述べる。
「ミスだとしたら、私はこれまで他人のミスに対して寛大でなかったことは一度もなかった。その基本方針をまげるわけにはいかない。
 しかし同時に、自分であれ他人であれ、一度ミスをおかしたら、助けてくれるものは何もないのだという現実に誰でも直面してしまう。だから寛大にならざるを得ないのである。
 この世は自然の定理のみ、神仏などいない。そんなことは数千年前の人間にだってわかっておったことで、だから人間は神を造る必要があった。ミスったときに神のせいにできるから。」

 私も、ある病気(脊柱管狭窄症)で、2009年の夏に手術のため1ケ月余り入院した経験を持つので、恐ろしいリアリティを以て描写が迫って来、思わず手に汗を握ってしまう。私の場合も、神経ブロックや脊髄への造影剤の注射など痛い検査も受けたが、ここに書かれた著者が体験した多くの苦痛に比べれば遥かにましであったろう。

 なお、『サバ折り文ちゃん』の主人公、出羽ヶ嶽文治郎の取組の姿がyou tubeにある。これを見ながら本文を読むのも一興であろう。 

 さらに、『スリー・フォー・ファイブ・テン』に出てくるピストン堀口の晩年、昭和21年7月6日の槍の笹崎との世紀の一戦と、『砂漠に陽は落ちて』の主人公である二村定一の歌声を、you tube から拝借してみた。
  

 ついでに言えば、この作品を読んでいる最中に、色川武大氏の、「離婚」、「百」、「狂人日記」を買い込み、今机の上に積んである。多分、この著者の放つ強烈な魔力に次第にとり憑かれ始めたからであろう。