映画「インサイド・ジョブ」 リーマン・ショックを頂点とする世界金融危機の主な原因は、ウォール街強欲詐欺集団の宴のあとか、それとも”大停滞”(タイラー・コーエン)のせいか?

インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実」は、銀行業務と証券業務の明確な分離を定めたグラス・スティーガル法を撤廃するなどレーガン政権以降進められてきた規制緩和の下、合併を重ね巨大化した金融機関が中心となり、いかがわしい金融工学デリバティブを結びつけて作ったCDO債務担保証券)を連鎖的販売システム(要するに、ネズミ講のこと)により売りまくり、アメリカ国民や世界中の金融機関を騙して巨額の金を巻き上げた恐るべき金融犯罪を告発したドキュメンタリー映画の傑作である。第83回アカデミー賞ドキュメンタリー長編賞を受賞した作品で、監督はチャールズ・ファーガソン、ナレーターは俳優のマット・デイモン

 さて、このCDOには、10年間で6千億ドルを超えるサブプライムローンが組み入れられ、超バブル崩壊の最大の原因となった。住宅金融の大手のカントリーワイド社(破綻後にバンカメが買収)の貸付だけで970億ドル(00〜06年)に上り、またローン引き受けのトップがリーマン・ブラザーズであった。
 ネズミ講と言ったのはフィナンシャルタイムズ紙チーフ経済解説委員のマーティン・ウルフで、彼はこう言っている「これらはシステムによる帳簿だけの売り上げで、数年後債務不履行になり消えた。今思えば世界規模のネズミ講詐欺であった」と。

 08年9月のリーマン・ブラザーズの破綻は、この巨大金融詐欺事件が象徴する超バブルの崩壊のピークに起きた事件であった。
 08年に入り、様々な予兆的事件が起きている。3月にベア・スターンズJPモルガン・チェースが救済買収し、これに対しFRBが300億ドルを融資する。7月にはファニーメイフレディマックが国有化され、9月に入りメリル・リンチをバンカメが吸収する。

 住宅の差し押さえが急増し、貸し手は住宅ローンが売れず、ローンも焦げ付き倒産が相次ぐ。CDO市場は崩壊し投資銀行は売れないローンやCDOや不動産を抱えた。
 遂に9月15日に、資金繰りの悪化が続いていたリーマン・ブラザーズ連邦破産法第11章(日本の民事再生法に相当)の適用を連邦裁判所に申請し、これが世界的な金融危機の引き金となる。負債総額は64兆円という途方もない金額であった。9月17日には破綻したCDOCDSで大量に保証していたAIGが実質国有化され、翌18日に財務長官のヘンリー・ポールソンが議会に銀行救済費7千億ドルを要求する。(10月4日に大統領はこの法案に署名した。)AIGの救済は、結局大量のCDSを買っていたゴールドマン・サックスを救済することになった。(AIGの救済資金1600億ドルのうち1400億ドルがゴールドマン・サックスに行ったといわれる。)なおCDSとはクレジット・デフォルト・スワップの略で、CDOの価格が下落したときにこれをヘッジするための保険で、デリバティブの一種である。

 巨大金融詐欺のネタとなったサブプライムローンを組み入れたCDOは、リー・シェンロン、シンガポール首相をして「無から有を生めるのだ、誘惑には勝てない」と言わしめた関係者に多くの利益をもたらす画期的な金融商品であった。これに格付け会社がAAAのお墨付きを与えて詐欺のお先棒を担ぎ、引き換えに銀行から多額の報酬を受け取っている。(今月になって、ようやくと言うか、スタンダード・アンド・プアーズ社に対して米SECが、CDOに対する格付けが証券法に違反しているとして法的措置を検討している、とロイター通信が報じている。)
 そして12月にはGMクライスラーが破綻する。

 では、この映画において告発されている詐欺の犯人を挙げてみよう。
1 投資銀行ゴールドマン・サックスモルガン・スタンレーリーマン・ブラザーズ、メリル・リンチ、ベア・スターンズの5行
2 金融複合企業:シティ・グループ、JPモルガンの2社
3 保険会社:AIG、MBIA、AMBACの3社
4 格付け会社ムーディーズスタンダード・アンド・プアーズ、フィッチの3社
5 住宅ローン会社:フレディ・マック、ファニー・メイの2社

 これらが主犯で、詐欺の片棒を担ぎ、あるいは支援してきた共同正犯が、住宅ローン規制に動かなかったFRBアラン・グリーンスパンと06年の就任時にサブプライムの残高がピークだったにも関わらず何もしなかったベン・バーナンキ、SEC(米証券取引委員会)長官ハーヴェイ・ピット、GFTC(商品先物取引委員会)の委員長で元ゴールドマン・サックスの重役だったゲーリー・ゲンスラー、経済再生諮問会議メンバーにしてハーバード大学教授のマーティン・フェルドシュタイン、ゴールドマン・.サックスの会長だったロバート・ルービン、危機のときにニューヨーク連銀総裁だった現財務長官のティモシー・ガイトナー、フェルドシュタインの弟子の元ハーバード大学教授で、傲岸不遜で知られる現国家経済会議委員長のローレンス・サマーズ、元ゴールドマン・サックスロビイストで、現財務省首席補佐官のマーク・パターソン、シカゴの投資銀行勤務やフレディ・マックの取締役を経てオバマ大統領の首席補佐官となったラーム・エマニュエ(10.10に辞任後、シカゴ市長となる)、ブッシュの財務長官で、ゴールドマン・サックスのCEOだったヘンリー・ポールソン、金融サービス円卓会議主席ロビイストのスコット・タルボット、論文でCDS証券化を称賛し金融の安定化を強化すると言った、コロンビア大学ビジネススクール校長グレン・ハバードなど、錚々たる悪玉が顔を揃える。まさにオール・アメリカンとでも言うべき豪華配役陣である。そして、上述のとおりオバマ政権のの経済・金融スタッフもウォール街を中心とした連中に乗っ取られており、とりわけアメリカの金融業界におけるゴールドマン・サックスの肥大ぶり、突出ぶりは異様に映る。

 物語の進行役を割り振られている善玉の登場人物は、「銀行業界は巨大になり、徐々に民主・共和陣営の政治システムを取りこんだ」と言うヌリエル・ルービニ(ニューヨーク大学ビジネススクール教授)、金融緩和をタンカーを安定させる隔壁を取っ払ったことに例えたジョージ・ソロス、そしてメリル・リンチやAIGの不正を追及したエリオット・スピッツアー(元、ニューヨーク州司法長官、知事、ただし08年売春疑惑で辞職)、グリーンライニング研究所元理事のロバート・グナイズダなどである。彼らの奮戦も蟷螂の斧にしか見えない。他にも、元IMF首席エコノミストのラグラム・ラジャン、MITの教授で金融工学研究室室長のアンドリュー・ロウ、元IMF専務理事で後に強姦未遂疑惑で逮捕されることになるドミニク・ストロス・カーン、元フランス経済・財務相クリスティーヌ・ラガルド(現IMF専務理事)なども善玉で登場する。

 このドキュメンタリーで悪玉たちの身の処し方を見ると、アメリカという国家の腐敗の深刻さが良く分かる。一例を挙げれば、ルービンはゴールドマン・サックスから財務長官となり、後にシティ・グループの副会長に就任する。00年にデリバティブの免除法案(商品先物近代化法)を通したフィル・グラム議員は、後にUBSインベストメント・バンクの副会長となる。日本で言えば、例えば、大手証券会社出身の財務大臣が職を辞してすぐにメガバンクのトップへ転職するとか、衆議院議員時代に銀行を監督する委員会の委員長だった人物が、辞職後いきなりメガバンクバイス・プレジデントに就任するといったようなものだ。

 オバマ政権となって、期待された金融改革は腰砕けとなり、格付け会社やロビー活動、報酬などの肝心な部分はほとんど手つかずだった。政権の中枢もウォール街政権というに相応しい顔ぶれである。繰り返しとなるが、煩を厭わずもう一度おさらいをしてみよう。

 危機の時のニューヨーク連銀の総裁で、ゴールドマン・サックスCDSを全額貰えるよう指示したティム・ガイトナーが財務長官、元ゴールドマンサックスの首席エコノミストだったウィリアム.C.ダドリーが新しいニューヨーク連銀総裁、元ゴ−ルドマン・サックスのロビイストだったマーク・パターソンが財務省首席補佐官、CFTC(米商品先物取引委員会)の委員長は18年間ゴールドマン・サックス・グループで勤務してきたゲーリー・ゲンスラー、SEC長官は銀行の自主規制団体FINRのメアリー・シャピロ、国家経済会議委員長がサマーズ、経済再生諮問会議にフェルドシュタインとタイソン、財務省上級顧問にトラカディアを主宰し、CDOを売り、その下落で儲けたルイス・サックス、スピッツアーの言によれば「顧問の大半が危機を作った者だ」という顔ぶれになる。

 ロバート・グナイズダによれば「10年半ばで金融界の大物の起訴や逮捕は1件もない。特別検察官も任命されず、証券詐欺や粉飾決算で告発された会社もない。重役に支払われた報酬を回収しようという動きもない」のである。チャールズ・ファーガソンはナレーションを通じて「カントリーワイドのアンジェロ・モジロの行動は犯罪行動だった(彼は5年ほどで4億7千万ドルを手にした)。ベア・スターンズもリーマンもメリルリンチも刑事訴追をすべきだ」と強く批判し、「危機をもたらした張本人は(今でも)権力の座にいる」という警告の言葉でこの映画を締めくくっている。

 しかし、ドキュメンタリーとはいえこれも映画で、善玉にしろ悪玉にしろインタビューに応じる彼らの語る様々な短い言葉(言葉を発する人の表情含めて)をつなぎ合わせて作品が編集・構成されていて、当然ながらそこには監督の何らかの意思(虚)が働くことになる。言ってみれば、近松の演劇理論でいう「虚実皮膜」こそが真実に迫る考え方とされているようだ。
 しかし、このドキュメンタリー映画のような、個々の興味ある現象を追うだけでは見えない何か大きなものがあるような気がする。こうした場合はマクロな歴史的視点からものを見るというのも必要で、10年と11年に出版され、08〜09年の金融危機の由来と原因を分析しているジョージ・ソロスの「ソロスの講義録」(講談社、10.6)とタイラー・コーエンの「大停滞」(NTT出版、11.9)の分析を基にこの当時の経済現象の動きを少し俯瞰してみよう。(次回に続く)