終戦の日を迎え、梅崎春生の「幻化」、そして「櫻島」を読む。

私の手元にある「幻化」(新潮社)は昭和40年10月10日発行の初版第2刷である。この本を買い求めたのも多分その頃であろう。見たとおり、外函はすっかり古びてしまっているが、中の本そのものは布クロス製で造本もしっかりしており、いまだ新品のようである。

 この作品は、私にとって二つの意味で印象深い。一つは、私が長年暮らし、第二の故郷とでも言うべき鹿児島が主な舞台で、ひときわ親密な感じがすることである。主人公が乗った飛行機が降り立ったのは、現在の溝辺空港ではなく、以前の鴨池空港である。私も若い頃、一度だけ鴨池空港に降りたことがあり、懐かしい。鹿児島市の中心部に近く、空港跡地には、今では県庁や日本住宅公団(現在のUR)などの高層ビルが立ち並んでいる。
 作品を読んでいると、主人公が彷徨う枕崎や坊津の景色が目の前で展開するようだ。私のこれら地の果ての土地に対する心象風景は、なぜか冬の陽のように寒々としている。心の中を侘しい風が吹き抜けるようだ。作品の中、主人公が坊津へ足を踏み入れた際、数十数百羽の鴉が空に飛び交いながら鳴いているのに遭遇した場面で、作者は、「―冥府。」と表現している。そんな町だ。
 坊津はいにしえの遣唐使船の寄港地として、のち薩摩藩の密貿易港として栄えたが、雙剣石を望む夕映えの海岸に立って見ると、そのまま西方浄土へと続いているかのような不思議な心持のする日本の西の果ての土地なのである。

 二つ目は、この主人公が精神を病んでいて、私の今の勤務先の病院が扱う種類の病気だということである。現実と交錯するように過去の心象風景がフラッシュバックしてくる手法が、この作品の基本構造となっている。これは単に精神の病気の世界を表現しているだけではなく、人がその生を閉じようとするとき、衰えた魂が曲線を描きながら生きた記憶の始まりの地点へ向かって回帰して行くことを暗示しているのかも知れない。そして人の運命はこの曲線が閉じるときに終局に至る。
 主人公の五郎は精神科病院から無断で抜け出し、若い時代の記憶の残る鹿児島や熊本へさすらいの旅に出る。昔たどったのとは全く逆の道筋で。

 五郎の病気はうつ病のようであるが、「火」という章に次のような文章がある。
「昨夜の一時的の躁状態(と言えるかどうか)の反動で、五郎の気分は重くよどんでいた。」これを読むと、単なるうつ病ではなく、躁うつ病のようにも思われる。あるいは正気と狂気のあわいをさ迷う主人公の精神のうごめき方を見ると、統合失調症と思えなくもない。

 この本の帯裏には、当時の平野謙江藤淳の作品評があって、この作品に仮託して作家梅崎春生の作家人生を総括して高く評価している。それはともかく、衰弱した精神病者が夢と現を交錯させながら、己の埋葬地を求めるように過去の記憶に残る土地をさ迷うという話を読むと、一体主人公の精神が変調をきたしているのか、それとも作品を書いている作者の精神が変調なのか分からなくなってくる。いずれにしろ、衰弱した魂には様々な妄念が忍び込んでくるものなのだ。

 作品の印象は、どこかモノクロフィルムのネガを見ているような乾いた抽象的な感じがする。客観的で微細な描写が避けられ、すべての事象が五郎の病んだ心のフィルターを通して描かれ、一見無造作でで淡白な印象を受ける。しかし実際ここにあるのは、梅崎の比類のない作家的手練にほかならない。

 五郎が精神科病院に入院して受けた治療は「持続睡眠療法」である。様々な抗うつ薬が開発されている現在では、この治療法はほとんど行われていない。この治療に使われるズルフォナールという睡眠薬は中毒症状をもたらすため今は製造されていないようである。現在は(と言っても例外的にしか行われない)クロルプロマジンバルビツール酸系の薬物を併用して「持続睡眠療法」に応用しているらしい。

 坂口安吾の「精神病覚え書」を読むと、東大病院でズルフォナールを用いて「持続睡眠療法」を受けていると書いてある。この手記は「青空文庫」で読めるが、その注によれば初出は昭和24年6月発行の「文藝春秋」で、後に全集の第7巻に収められているとのこと。坂口はほかにも精神科治療についての手記「深夜は睡るに限ること」を書いている。
「幻化」の最後の一見尻切れトンボ風のエンディングは、無限数を果てしなく連ねて行くかのようにいつまでも娑婆をさ迷う主人公の救われない姿と病的心理を暗示しているのだろうか、それとも病んだ主人公の魂がさらに一歩昏迷の世界に踏み込んだことを意味しているのだろうか。

 梅崎春生出世作「櫻島」を含む古い新潮文庫の作品集を本棚から引っ張り出し、久しぶりに読んでみた。奥付を見ると、昭和39年4月の第10刷で、左のとおりすっかり変色し、汚れている。

 主人公は暗号員として、赤痢で入院した下士官の代わりに坊津から櫻島へ赴任するが、その間様々なエピソードがあって、遂には終戦を迎える。ただそれだけの物語だ。櫻島へ赴く途中の小さい町の妓楼で敵娼(あいかた)となった片耳のない妓のエピソードは切ない。片耳の妓と重ね合わせ、当時の日本の社会状況、庶民の貧乏な中での絶望的な処世を考え、いたたまれない気持ちになる。無慈悲なのは、仲良くなった見張り兵がグラマンに撃ち殺されるエピソードである。また、櫻島での上司の吉良兵曹長も一見凶暴でパラノイアチックな軍人に描かれているが、本当の人非人とまでは筆が及んでいない。梅崎の生来の人間的優しさ、あるいは気の弱さから来ているのだろう。

 この作品で描かれているのは、一言で言えば青春の蹉跌である。僅か二十歳そこそこで死を当然のものとして受け入れている。その暗さ、抗い得ない運命に対する絶望感、そして不思議な優しさ。主人公はこんな感懐を漏らす。「もはや、私の青春は終わった。櫻島の生活は余生に過ぎぬ。」

 遺作となった「幻化」の主人公の姿は、戦後すぐに書かれた「櫻島」の主人公が幾星霜を経て、あたかも一つの人生が過去へと収斂していって、遂には精神を病んだ身となって青春(それは戦争に明け暮れる青春でもあった)の思い出の地坊津へと手繰り寄せられていくように見える。ここにこの二つの作品の主人公の運命の連関を感じるのだ。

「幻化」は読めば読むほど梅崎の作家的精進と練達の手腕がひしひしと感じられ、心から三嘆せざるを得ない作品である。しかしこのような精妙を極め、人間の精神の奥底の不穏なゆらぎを表現し得た作品は、今後書かれることも読まれることも少なくなるに違いない。
 新潮文庫の上記作品集の中に「蜆」という作品がある。ふとしたことで外套を貰うことになった相手との交流を描いた、どうと言うことのない小品である。相手が船橋へ行って、電車の中で出会った男(満員の車両から落ちてしまうのだが)のリュックを持って帰った中に蜆が一杯入っていた。そしてその蜆が夜にリュックの中で幽かにプチプチと鳴く。相手はその後担ぎ屋になったという話である。蜆が夜中に侘しくプチプチと鳴く、というところにこの作品の工夫がある。
 私は昭和39年に大学を卒業すると銀行に勤め、西船橋の独身寮に3年半住んだ。梅崎のこの文庫はその頃買い求めて読んだのである。「蜆」の中に船橋の土地柄について担ぎ屋が評した言葉があるが、当時船橋で初めての一人暮らしの侘しい生活を送っていた私には、何とも印象的で、その部分をその頃書いた下手くそな詩に引用している。下は、その詩を掲載した詩集から該当頁をスキャンしたものである。(詩集「お任せ料理店」土曜美術社、1985年10月)

 文庫の解説で、淺見淵は、梅崎を梶井基次郎の影響下で育った作家と指摘している。二人ともストーリー・テリングがあまり得手ではない作家と思うが、淺見は二人の共通点として、近代人の不安心理を詩情をまじえた心象風景として展開さすことが巧みであった、というようなことを述べている。しかし、こうした一口で言って感覚的なものはしばしば移ろいやすい時代状況に制約を受け、必然的にはやりすたりがある。

 このように戦争直後の異常な時代感覚を身にまとい、ストーリー性の乏しい私小説は、やがて余程の好事家を除けば、あらゆる事象が極端なスピードで走り抜けていく現代の若い人たちの関心を呼ぶことは少なくなるであろう。もっとも時代に置き去りにされるのは梅崎春生などの作品だけではなく、私たち戦争という異常な体験と戦後の混沌の記憶を持つ者も一緒ではあるまいか。あらためてこれらの作品を読んでこんな淋しいことを思ったのである。