高野和明「ジェノサイド」は傑作?それとも駄作?

久しぶりに夜を徹して本を読むという経験をした。ノンストップ・ノベルとはこういう本のことかと思った。マイクル・クライトンや初期のフレデリック・フォーサイス、あるいは船戸与一逢坂剛を読んだときのように夢中でページをめくり、興奮も覚えた。
 
 しかし、読み終えて少し違和感が残った。その違和感は、この後同じ著者の「13階段」を読み直して分かった。この著者の身にまとっている<正義感>がその正体だ。作者の思い込みという偏差が加味された単純思考の延長上の<正義感>である。
 例えば、イラク戦争について、こんな単純な因果関係で理解しているようだ。
<攻め込んできた異種文明は政治的イデオロギーを掲げていたが、真の狙いが地下に眠る莫大な石油資源にあることに疑いの余地はなかった。>(12ページ)

 この文章の前段も後段も正確さを欠いていて、見るからに陰謀史観っぽい。
 イラク攻撃の真実は、例えばピューリッツアー賞受賞記者のボブ・ドローギンの「カーブボール」(産経新聞出版、2008.4.11)のような大著を以てしてもやっとその輪郭が理解できる複雑な要因に満ちている事件である。亡命イラク人のペテンに引っかかったCIAと近代国家アメリカの政治家・官僚組織の、野心、縄張り意識、政治のリーダーシップの欠如、情報分析のお粗末さ、経済的利益の分捕り合戦、それぞれの組織のエゴなどが複雑に絡み合った歴史上稀に見る大誤算的事件なのであった。開戦の理由も決して石油資源狙いが主たる理由ではないことは戦後の検証ではっきりしている。ただ、作者は後にアーサー・ルーベンスという興味深い人物が登場するくだりで、やや詳しくイラク戦争の詳細について記述しているが、やはり石油利権が目的という考えがメインにある。
 さて、「ジェノサイド」は果して傑作なのかどうか、確かめるためにもう一度、やや丁寧に読み返してみた。

 最初はやや文章が落ち着かず、醒めた感じで読み進めていたが、99ページ目のイエーガーたち傭兵が活動を始める辺りからは筆が快調に進み始め、再読ながら物語に引き込まれて行く。
 ところが韓国人学生の李正勲が登場する場面に至ったところで、関東大震災で日本人が朝鮮人に対して行った虐殺行為など日本人の朝鮮民族蔑視の国民性が糾弾される。これは一見主人公が歴史を語っているようなのだが、背後に主人公に名を借りた作者の<神の眼>が感じられる。主人公の研人が「朝鮮人」という表現を嫌い、「朝鮮半島の人たち」と言い換えたというエピソードは、正義感を通り越して卑屈に感じた。遂には「愚かな先祖を持つと、末代が苦労する。」という言葉で締めくくるのだが、作者の歴史観の単純さと、過度な贖罪感には少なからず閉口した。我々が現在あるのは、先祖の努力の積み重ねではないか。勿論多くの間違いもあったかも知れない。しかし「朝鮮半島を武力で植民地支配した」などという分かりやすく単純化したテーゼの中には多くの見過ごせない誤謬が存在する。

 小説で思想を語るのはいい。しかしあくまで作品自体によって語らすべきで、思想を語りたい作者が、単なる物語の叙述者という立場を逸脱して、あたかも<神の眼>を持つ者のごとくページの間に降臨して来て思想を語るのはルール違反であろう。生(なま)の思想や歴史観を語りたいのであれば、語る主体を明確にした論文などで堂々と意見を述べればいいのに。

 作中で作者の生(なま)の思想を語るのではなく、作品そのものが重層的な思想を体現し、体制批判を含む歴史の検証に踏み込んだ作品としては、ソルジェーツィニンの「イワン・デニソヴィッチの一日」という史上稀に見る傑作がある。

 思うに、高野氏は主要な創作意図として何らかの歴史観を語りたかったのではなく、場面のついでに思わず筆が走っただけなのであろう。後にも南京事件のことも出てくるが、戦後教育で刷り込まれた偏った歴史観が、作品の本筋とはまったく関係ないにもかかわらず、ついつい正義の筆誅という形を取っただけのことではないのか。勿論、この作品自体が訴えかけるメッセージというものもある。その方が作者の生(なま)の悲憤慷慨より大切なのではないか。

 ところでこの作品は、アーサアー・ルーベンスが登場し、4人の傭兵がアフリカからの脱出行へと踏み切る辺りから、文章もストーリーの進展も、今までと打って変わったように快調になる。

 この作品を読んで気のついたことを以下に簡単に記すことにする。
〇この作品の目玉とも言うべきピグミーの子供の超人類ヌースの在りようは、アイラ・レヴィンの「ローズマリーの赤ちゃん」や瀬名秀明の「パラサイト・イヴ」を彷彿させる。あるいは、「2001年宇宙の旅」の人工頭脳HAL9000を思わせる。
〇日本人の傭兵のミックの存在の無意味さ。4人の傭兵の中で読者に最も苛立ちを覚える人物として造形され、最後は「神の反乱軍」というアフリカ民兵の子供兵との戦いの最中に、イエーガーにあっけなく射殺される。とことん<糞野郎>として描かれ、あらゆる場面で不自然なほど神経を逆なでする言動をとり続ける日本人傭兵を登場させた作者の真意は何か?イエーガーに射殺される理由も不明瞭である。作者自身が、自ら創作した唾棄すべき日本人を早く片付けたかったのだ、としか思えない。
 それに対し韓国人李の、頭脳優秀で科学者の鏡のように描かれる勇気ある人物像があまりに対照的である。
創薬ソフトGIFTを中心とする創薬の過程が延々と記述される。これも作者の勉強の成果か。作者はどうしてもそれを披歴したかったのかも知れない。謝辞の中で多くの医学関係者の名前が見られるが、これで取材の徹底さと綿密さは分かるのだが・・・。
〇ビラ人の民兵組織が住民に残虐な殺人行為を働いている最も凄惨な描写の個所で、あろうことか、「南京大虐殺の際に、日本人が中国人を相手にやった手口だ。」と付け加えるくだりがある。作者はまるで、南京大虐殺とやらの現場を見ていたかのように安易に書く。作者はこうした日本や日本人を貶めるような描写をあちこちに忍ばせている。あたかも<サブリミナル効果>を狙っているかのように。
〇戦闘描写は迫力があるが、しばしば目をそむけたくなるほどの残虐な描写が見られる。作者には、隠れサディズムの傾向があるのかも知れない。
〇地上最高の権力者であるアメリカ大統領バーンズが振るう権力の魔力的な側面が面白く書けていて印象深い。大統領を取り巻く高官たちの右往左往ぶりや面従腹背ぶりも、政治の世界はこんなものだろうと思った。

 以上のように色々と指摘すべき傷はあるが、緻密なプロット、最後まで破綻しない構想力、特に後半の三分の一位からエンディングへかけてぐいぐいと引っ張っていく筆力は非凡である。時間を置かずに読み返したが、二度目もそれなりに面白く読めた。エンターテインメント作品なので、小難しいことを言わなければ、最近の日本の小説では面白い部類に入る。一読して損はない。
 これでは、タイトルにある選択肢に解答を与えたことにはならない。では言おう、勿論駄作ではないが、傑作と言うにはどうしても躊躇がある。あれ、やはり答えになっていない。