「Kindle新・読書術」武井一巳(翔詠社)と「蔵書の苦しみ」岡崎武志(光文社新書)をKindleで読む―本を大量処分する極意

iPad mini電子書籍アプリKindle『「Kindle新・読書術 すべての本好きに捧げる本』武井一巳)を読んだ。
 Associeの「必読本大全」('14.1.15発行)で武井は<今すぐ始めたい 電子書籍ライフ>という一文を書いているが、その中の電子書籍の未来に希望を感じ、2010年、引っ越しを機に2万冊の蔵書を捨てた。」という記述を読んで、彼の蔵書処分の経緯をつぶさに知りたくなったためである。

 私は、これまでに十数度の引っ越しを経験しているが、その都度苦労するのは大量の本の扱いで、買い集めた蔵書に振り回される状況に甘んじて耐えて来た。九州から関東へ移るまでに相当の本(5,000冊くらい)を古書店に売ったが、それでもまだどうにもならないくらいの本に脅かされている。部屋に本を置く場所を確保するのに一苦労し、生活にも支障をきたす有様である。
 愛着のある本たちも、死ねばゴミである。年齢から推し測っても、これからそう多くの本を読むことは不可能だ。蔵書の整理は私にとって焦眉の急の問題なのである。(今の私の年齢までに死んだ者は多い。そう考えるとすでに本は私自身とともにゴミ化しつつあるのだ。)

 本を捨てるのには、愛書家の心の壁を打ち破らなければ、実行は難しい。武井は一体どうやってこの壁を乗り越えたのかに大きな関心があった。そう、本を処分するのはスキルの問題ではなくて、心の問題なのだ。
 以前、沢尻エリカの元主人の高城剛の本やブランド物衣料の凄まじい処分のやり方を知って、是非あやかりたいものと常々考えていた。

 武井の方法とは、蔵書の多くを、Kindleなどの電子書籍に切り替えるというものであった。この本では、Kindleの使い方、その長所と短所を多く学ぶことができたが、何といっても参考になったのは、蔵書の大部分(2万冊)を処分することに踏み切らせたその心理にあった。
 この書では、キンドル・ペーパーホワイトを利用しての読書術が様々な角度から論じられている。中でも第1章の<06>「キンドルに出会って2万冊の本を捨てた!」で、”本の置き場所がゼロになる魅力”について述べられ、この本の肝となっている。ここで著者は、読者とともに自分自身をも納得させようとしているように見える。本書はある意味、2万冊の本を処分して、未だ忸怩たる思いを引きずっている(らしい)著者自身のために書いた本でもあろう。

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 そしてこの本を読む過程で『蔵書の苦しみ』というタイトルの本を知って強く魅かれた。「蔵書の楽しみ」でなく「蔵書の苦しみ」なのだ。私はこのタイトルに接し、蔵書の扱いについて長年ひそかに苦しんできた心情を、ずばりと言い当てられた気がして一瞬どきっとした。間髪を入れず、この書をKindleで購入、ダウンロードし、一気に読了した。蔵書の大量処分こそ、今年の私のこれからの人生に関わる重大かつ深刻なテーマだったのである。

 とにかく面白くて(電子書籍の)頁をめくる手が止まらなかった。
 この本の中で最も関心を引いたのは次の言葉だ。
「どこかで思い切った荒療治をしないと、蔵書なんて、そう簡単には減らないものである。」

 蔵書の苦しみとは、空間と重量という勝れて物理学の問題である。住空間の狭隘化、本の積載荷重による家屋への負担、地震での本棚の倒壊による身体への危機、引っ越しの際の難儀、そして次第に増してくる目的の本を捜し当てる困難さである。その上体力も必要だ。
 私自身、東日本大震災のときに、家の本棚2本が倒れ、本が部屋中に散乱した経験を持つ。

 ここでは、本に関する多くの本が紹介されている。みな食指の動く面白そうなものばかりである。私自身の備忘のためにも書名を記しておく。
1、「本の運命」       井上ひさし(文春文庫)
2、「谷沢永一のこと」   開高 健(角川文庫)
3、「書物の達人」     池谷伊佐夫(東京書籍)
4、「雑書放蕩記」     谷沢永一(新潮社)
5、「日本の名随筆『書斎』」(作品社)
6、「異都発掘 新東京物語」荒俣 宏(集英社文庫
7、「完本 紙つぶて」   谷沢永一(文春文庫)
8、「おたくの本懐『集めることの叡智と冒険』」長山靖生ちくま文庫

 著者は、理想の蔵書数は500冊であるという。前述の武井にしても、どうしても処分できない(したくない)本を500冊持っていると書いている。(うち自分の著書が200冊という)やはり500冊というのが、適切な蔵書数の一つの目標なのだろう。
 ここでは、吉田健一が例として取り上げられている。(篠田一士の『読書の楽しみ』構想社、からの引用だ。)吉田の本棚に500冊というのはにわかに信じがたい、と著者はコメントしているが、事実であれば凄いことだ。この様子は篠田の本に詳しいようだからそのうちに覗いてみよう。
 本を持たない人物として、吉行淳之介高群逸枝の例を挙げているが、驚いたのは稲垣足穂である。何と本を持っていないそうだ。稲垣は、私たち詩を書いてきた人間にとっては、金子光晴と並んで神様みたいな存在なのである。

 私の蔵書数は、本棚大小5本に約2,000冊を収納(一つの棚に手前と奥に、二重に並べてある。)、また本を詰めた段ボール箱が60個ほど、正確な数は分らないが、床に積んである本を含めれば3,000冊以上あり、合計5,000冊くらいであろう。加えて、以前経営していた会社の関係資料が多くある。本書で紹介されている例に比べれば大したことはないが、それでもこれを500冊に圧縮することができるだろうか。

 夏目漱石森鴎外太宰治は無論(青空文庫で無料で読める)、池波正太郎折原一佐藤雅美小松左京赤川次郎谷崎潤一郎などは、あらかた電子書籍で読むことは可能で、紙の本は処分の対象になるであろう。逆に、三島由紀夫村上春樹は一切電子書籍化されていない。ここに電子書籍の問題点があるのだろうが、最早(良くも悪くも)書籍の電子化への流れは止められないであろう。
 似たような例は私の携わっている医療の現場だ。ここでも、様々抵抗があり多くの問題点を抱えながらも、電子カルテ化への流れが避けられなくなっているのだ。