『E=mc^2 世界一有名な方程式の「伝記」』デイヴィッド・ボダニス著(伊藤文英他訳、ハヤカワ文庫、'10.9.25)

こんなに分り易くて面白い科学の本は滅多にない。それは、著者がオックスフォード大学で科学史を教える科学ジャーナリスト、つまり歴史家だからだろう。科学オンチではあるが、何によらず歴史好きの私にはこたえられないくらい面白い。ヘンリー・ジェイムズの厄介な小説を読んでいる暇に読み始めたが、あっという間に読み終えた。
 なお、本稿を書くために再度精読し、また原子構造や核分裂あるいは天体物理学について”にわか勉強”をする羽目になったが、所詮付け焼刃の浅薄な知識なので、必ずどこかでボロを出すに違いない。その場合にはどうかお許しを願いたい。

  著者は「はじめに」において、この方程式を生みだしたアインシュタインの伝記を書くのではなく、この方程式を応用発展させた多くの物理学者たちまで手を広げるため、E=mc^2の伝記を書くことにしたと述べている。E=mc^2という方程式をめぐって展開される物理学の歴史はまさしく手に汗を握る。

 短い第1部では、アインシュタインがベルン特許局に勤務しながら相対性理論を書き、世に初めてE=mc^2を誕生させたエピソードを描く。

 次の第2部では先ず、電磁気回転という世紀の発見をしたマイケル・ファラデー生涯のエピソード、例えば彼は元は製本屋の徒弟であり、正規の学問を学んでいないことで受けた偏見などについて述べながら、彼の研究がE(エネルギー)という概念の確立に果した功績について書いている。ファラデーはある意味お馴染みの名前である。彼の名は「ロウソクの科学」と結びついて私たちの頭の中にあるはずだ。

 次に、=(イコール)という等号広めたイギリスのロバート・レコードについて簡単に触れている。

 それから、「質量m(mass)」についての項で、フランスのアントワーヌ=ローラン・ラヴォアジェが登場する。彼は、物質は形態を変えることはあっても、燃え尽きて消滅することはないことを明らかにした。興味深いのは彼の生涯だ。ルイ16世治下の科学アカデミー会員だったラヴォアジェは、後に革命政府の大立者となったジャン・ポール=マラーがかつて学会に提出した論文の審査を担当して、それを却下したことの恨みによりギロチン台の露と消えたとある。この辺りは、シュテファン・ツヴァイクの著した伝記を読むようで実に面白い。
 ただし、ラヴォアジェが逮捕されたのは1793年11月、死刑執行されたのは1794年5月だが、肝心のマラーはラヴォアジェの逮捕以前の1793年7月13日、入浴中のところをシャルロット・コルデーに暗殺されているので、マラーが直接恨みを晴らすことは出来なかった筈だ。本書の附録<他の重要人物のその後>の中で、死刑執行を命じたのは、マラーの同僚のロベスピエールだと記されている。マラーはラヴォアジェの運命について、自らの死の前に何かお膳立てをしていたのだろうか。

「光速c(celeritas)」の項では、先ず光速の測定についての科学者たちの苦闘の歴史が描かれる。それは、アインシュタインが、「c」の使用を思いつくよりも早く、光速の測定が可能と考える者がいたはずだ、という視点から述べられる。
 ガリレオ、ジャン・ドミニク・カッシーニ、オーレ・レーマー、ジェイムズ・クラーク・マクスウェルなどの研究を経て、アインシュタインに辿りつくのだ。
 cは、Eとmとの媒介係数であると著者は述べるのだが、ではなぜ「c」ではなく「c^2」なのか。

 その「二乗」の項では、運動エネルギーについてライプニッツの主張した「mv^2」(vは速度。ニュートンは「mv^1」を主張していた)を、デュ・シャトレ夫人が仲間の研究者であるウィレム・スフラーフェサンデとともに、さらに理論的発展させたことを述べている。そして、v(速度)が、アインシュタインによって、c(光速)に繋がっていくのである。
 スフラーフェサンデは、重りを軟らかい土の上に落とす実験で、速度を二倍にすると土に沈む深さは四倍、速度を三倍にすれば同じく九倍になることを明らかにした。「E=mv^2による考え方が予測していたのは、まさにこういうことだった。二の二乗は四であり、三の二乗は九である。この方程式は不思議にも、自然にとって根本的なものであるようだった。」(98頁)
 質量(m)に速度の二乗(v^2)を掛けることが物質のエネルギーを示す指標として定着すれば、「速度=v」がやがて速度の極限である「光=c」(秒速約30万km)という考えに辿りつくのは時間の問題であったろう。
 このアインシュタインの式の意味するものは、適切な条件下では、すべての物質(質量の塊)に光速の二乗を掛けたものが、その質量の塊が放出できるエネルギーの量を表す、ということだ。つまり、質量は凝縮されたエネルギーの究極の形である、と著者は結論づける。

 1905年にアインシュタインがこの方程式を発表したとき、はじめはほとんど何の反響もなかった。しかし時間を経て、「ヨーロッパの物理学者たちは、E=mc^2という式を正しいものとして受け入れた。物質を構成している凍結されたエネルギーを、放出できるような形に変換することが原理的に可能であることを認めたのだ。」「しかし、実際にそのようなことを起こすにはどうすればよいかは、誰も知らなかった。」(136頁)
 ヒントの一つは、マリー・キュリーなどが研究していたラジウムウラニウムなどの高密度の金属をはじめとする奇妙な物質にあった。エネルギーをいくら長期間放出し続けても、放出するエネルギーが全く枯渇することないことが分ったのである。ここから、物質の内部構造を探り、これらの物質の核心に至るまで深く掘り下げ、この公式が約束したエネルギーをどうすれば手に入れることができるかの研究が行われるようになったのだ。

 次の「原子の内部へ」の項では、先ず原子模型の発見者として、アーネスト・ラザフォードが登場するが、その前に(本書では触れられていないが)電子の存在を証明したJ.J.トムスンがいたことは忘れてはならない。ただ、彼は、原子はプラスの電荷を持つ粒子の中に電子があって動いているという原子モデルを提唱したが(プラムプディングモデル)、これはやがて、ラザフォードの散乱実験により否定されることになる。(ラザフォードに先駆けて、わが国の長岡半太郎が、いわゆる太陽系モデルを提唱し、やがてそれは、ラザフォードのα線散乱実験で実証された。)
 ラザフォードは、原子核の存在を確かめ、その周りを電子が円運動をしていて、原子の中はほとんど完全に空っぽだということを発見したのだった。

 次に登場するのは、ラザフォードの弟子のジェイムズ・チャドウイックで、彼は原子核の中にある別種の粒子である中性子を発見する。
 その後、エンリコ・フェルミが「中性子を標的の原子核の内部に容易に入りこませることに成功し、原子核の構造をより一層明らかにする道を拓いた。」(144頁)

 さて、いよいよ核分裂の発見者、オットー・ハーンとリーゼ・マイトナーのエピソードが語られる。ニールス・ボーア原子核のモデル(水滴モデル)を前提に、マイトナーは入射した中性子ウラニウムを真っ二つに割っていることに思い至ったが、その際アインシュタインの式によって示される量のエネルギーが爆発することが分ったのだ。
 オットー・ハーンが、ウランに中性子を照射してバリウムが生じることを発見したが、バリウムはウランの半分の大きさしかない。そんなことはありうるのか。それを解決したのはマイトナーと甥のフリッシュである。彼女はこの反応について、ウランが分裂する可能性を考えた。ウランの同位体の一つであるウラン235原子核中性子を照射することによって原子核は分裂し、バリウムとクリプトンの同位体が生じる核分裂反応であることを明らかにしたのだ。
 この核分裂の発見が、原子爆弾の開発に繋がっていき、マイトナーは原爆の母などと呼ばれることになる。

 原理的な話はここまでで(本書の分量の半分以上を使っている)、以後第4部からは、第二次大戦をはさんで、核兵器開発をめぐるナチス・ドイツアメリカのつばぜり合い、それに翻弄される科学者の人間群像、さまざまな逸話(ノルウェイの重水工場爆破のエピソードが興味深い)は、原爆をめぐる歴史秘話といった感じで面白く一気に読ませる。
 ドイツ側の中心人物は、不確定性原理を提唱したヴェルナー・カール・ハイゼンベルクで、本書では、いかにもナチスの御用学者然とした活躍ぶりが見て来たように語られるが(まるで司馬遼太郎だ)、今まで理解していたハイゼンベルクの人間像とは異なっていて、描き方にやや偏りがあるように感じた。
 アメリカ側では言うまでもなく、ロバート・オッペンハイマーが中心だ。彼が招へいした学者の中に、リチャード・ファインマンがいて、二人の間の色々なエピソードが描かれているのも面白い。アメリカ側の計画の中で、原子番号94番の人工元素、プルトニウムの誕生の物語が語られている。長崎に投下され「ファットマン」と名付けられた原爆は、プルトニウムを用いたものだ。(プルトニウムについては、高木仁三郎の『プルトニウムの恐怖』が1981年という古い本にもかかわらず、いまだにこの問題に関する必読書だ。)

 やがて、アメリカが完成した原爆が、広島の上空で爆発する場面に移るが、読むほどに原爆を投じた政治の冷酷さに慄然とする。市民が何十万人と住む都会の上空で、原発を平然と投下する決断をした政治家(トルーマンとジミー・バーンズ国務長官)の所業は悪魔にも劣らないだろう。この辺の記述は、日本人として、とても心穏やかに読むことができない。

 第5部では、「視線をより広い世界に向ける。地球の技術から離れ、E=mc^2の影響がいかに宇宙全体に及んでいるのかを示したい。恒星の誕生からあらゆる生命の終焉まで、森羅万象がこの方程式によって支配されている事実を明らかにしよう。」(248頁)ということで、先ず太陽の9割以上が水素とヘリウムでできていることを発見した女性科学者、セシリア・ペインについて語る。当時は誰もが、太陽の3分の2以上はは鉄でできていると信じていた。
 ペインに関しては、リーゼ・マイトナーに続いて、業績を不当に貶められ、偏見と闘う女性科学者としての姿を描くのに著者の筆は熱を帯びる。
 結局「セシリア・ペインの功績によって太陽など天空のあらゆる恒星はE=mc^2の反応から大量のエネルギーを生みだしていることがわかった。」のである。(261頁)

 しかし、ペインの説だけでは、説明できない問題に突き当たる。恒星が水素をヘリウムに変えながら激しく燃えていくが(水素の核融合)、やがて水素が底をつけば、E=mc^2の反応が生み出す炎は段々消えていくのだ。ヘリウムは巨大な灰の塊りとなって堆積していくだけだ。

 この難問を解決するために登場するのがフレッド・ホイルである。簡単に言えば、恒星の内部での原子核反応の仕組みを考え、水素からヘリウムへの転換をさらに一歩進め、ヘリウム原子核は、十分な温度に達したときには燃焼して炭素や酸素、ケイ素、硫黄などの原子核をつくると主張したのである。ホイルは原爆製造計画におけるプルトニウムの爆縮にヒントを得て、原理としては、恒星が爆縮して温度が2千万度から一挙に1億度になり、灰でしかなかったヘリウムが燃えるとした。さらにヘリウムを使いきったあとの灰が、恒星が再びつぶれて一層温度が高まった結果、新しく燃焼していく。

 それでも恒星(ここでは主に太陽を念頭に置いている)はいつかは燃料切れが訪れるだろう。恒星で次に起こることをはじめて見抜いたのはインド人のスブラマニアン・チャンドラセカールだ。
 チャンドラセカールの理論を簡単に言うと、燃料が僅かになり寿命が尽きて冷えていく恒星は、ゆっくりと収縮して小さくなっていき、白色矮星(何の輝きも発しない高密度の岩の塊)となって終焉を迎える。だが、質量がある一定の値を超えると電子の縮退圧が重力収縮に勝てなくなり、超新星爆発を起こして中性子星になる。そして中性子星も一定の質量を超えると重力崩壊を起こし、ブラックホールとなる。
 白色矮星が持ちうる質量の理論的な上限値をチャンドラセカール限界と言い、現在では太陽の質量の1.44倍と言われている。
 また、ブラックホールが理論的に存在することをはじめて指摘したチャンドラセカールの発見を、学界の重鎮アーサー・エディントンが「不合理」として切り捨て、ブラックホール研究が40年間近く停滞することになったことにも言及されている。 

 最後の「アインシュタインのほかの業績」では、E=mc^2を含む<特殊相対性理論>から、時空連続体の歪みなどの探究である<一般相対性原理>への道筋や、博士の晩年の姿について短く描かれ、本書は閉じられる。

 本書はあまりに多くの内容がてんこ盛り状態で、ひとつひとつの説明がやや簡略過ぎるきらいはある。例えば、マクスウェルやニールス・ボーアに関する記述などは物足りない。
 本文はあくまで歴史物語であるから全体的にざっくりとした記述だが、それを補うために巻末に詳細な注がつけられている。ただ、それを一々参照するのは面倒くさく、私自身もときどき参照するにとどまった。