「変身の恐怖」 パトリシア・ハイスミス 吉田健一=訳(ちくま文庫、'97.12.4)―彼女の最高傑作?

この小説を充実感をもって読み終えたが、それにしてもタイトルの「変身の恐怖」という訳語はピンとこない。元のタイトルは"THE TREMOR OF FORGERY"である。TREMORは「恐怖や興奮による震え」、FORGERYは「偽物、偽造行為」という意味である。

 これは先ず、主人公のインガムがタイプライターを投げて殺した(と思われる)行為の自分自身や恋人のアイナに対する正当化、あるいは隠蔽を企図して自己の意識又は潜在意識に働きかけるさまざまな欺瞞の操作への嫌悪感を意味するのであろう。もう一つは、チュニスという北アフリカの非キリスト教の始原的空間に、アメリカ人としての規範的な生き方、考え方が次第に崩れていき、遂には殺人すら日常的な風景としてしまう世界に慣れてしまう異邦人的な生き方への怖れをも意味しているのであろう。

 他方、インガムやアダムスが背負っているいかにもアメリカ人としての規範、例えばアダムスが行っている冷戦下でのロシア向けの放送に盛られた十字軍的なアメリカの体現している(いかにも偽善者然とした)価値そのものが、FORGERYということなのかも知れない。

 それにしても、この作品は厳密な意味でミステリー小説とは言えないものだ。エンターテインメントの要素は強いが、しかし普通の小説だ。まあ敢えて言えば、ある種のクライム・ノベルであるのかも知れない。ハイスミス自身、どこまで本音か分らないが、自分ではミステリもサスペンス小説も書いているつもりはない、というような発言をしているらしい。(『見知らぬ乗客』の新保博久の解説)
 本書の解説(滝本誠)は、パトリシア・ハイスミスの全体像についての極めて優れ分析・把握がなされていて、間然とする所がない。ハイスミスに関心のある方は是非目を通していただきたい。

 もう一つ付け加えれば、ハイスミスヘンリー・ジェイムズの鬼子ともいうべき作家である。ヘンリー・ジェイムズの特徴は、大津栄一郎によれば難解な「曖昧性」(『ヘンリー・ジェイムズ短編集』岩波文庫の解説)とすれば、ハイスミスの小説の特徴を前述の滝本は「緊迫」と言う。さらに踏み込んで言えば、緊迫から生れてくる「不安な宙ぶらり感」ということになるであろう。
 どちらも屈折して執拗な心理描写が作品の中核をなしているが、ジェイムズの小説を読むと、ただ執拗だけではなく、とても一筋縄でいかない、咬みしだくのも難儀な曖昧さが残る。その執拗な心理描写には、必要以上に長すぎるという印象や技巧のための技巧といった手練を感じる。

 ジェイムズについては、モーム「たしかに物事の表面を、彼ほど鋭い眼をもってくまなく探りまわした者はほかにいない。だが、その表面の下にある深みに、彼が少しでも気がついていたというしるしは、ひとつとしてない。」と言い、巷間ジェイムズの最大傑作と呼ばれている長編『使節たち』(『大使たち』とも訳される)を「内容があまりにも空虚」「羊の骨のようにねじまがった文体」「読んでいて退屈」などと酷評しているのが面白い。(モーム『読書案内』岩波文庫。この本はいかにも面白可笑しいが、モームの見方には独特の偏りがあるので、まあ、話半分位と思っておけばいいだろう。)

 この作品中には、インガムが「ヘンリー・ジェイムスのものが読みたくなってその日と晩を何とかジェイムスの散文を読まなければ過ごせない感じになり、テュニスまで車で行ってやっとモダン・ライブラリー叢書で『ねじの廻転』と『大家の教訓』が一冊になったのを見つけて来たことがあったのを思い出した。」(373頁)という一節がある。ここは、ヘンリー・ジェイムスを愛読するというハイスミスの本音を伺わせるところだ。

 パトリシア・ハイスミスの興味深いスイスの山中での執筆や生活の姿が、『推理作家の発想工房』南川三治郎著(文芸春秋、'85.9.1)で見ることができる。74歳で亡くなったハイスミスの65歳の時の貴重な写真だ。

 なお、グレアム・グリーンは、この作品をハイスミスの長編小説の最高傑作として、もしこの作品のテーマを何かときかれたら、”不安感”と答えると言っている。(『11の物語』<序>、ハヤカワ文庫)