「Kindle新・読書術」武井一巳(翔詠社)と「蔵書の苦しみ」岡崎武志(光文社新書)をKindleで読む―本を大量処分する極意

iPad mini電子書籍アプリKindle『「Kindle新・読書術 すべての本好きに捧げる本』武井一巳)を読んだ。
 Associeの「必読本大全」('14.1.15発行)で武井は<今すぐ始めたい 電子書籍ライフ>という一文を書いているが、その中の電子書籍の未来に希望を感じ、2010年、引っ越しを機に2万冊の蔵書を捨てた。」という記述を読んで、彼の蔵書処分の経緯をつぶさに知りたくなったためである。

 私は、これまでに十数度の引っ越しを経験しているが、その都度苦労するのは大量の本の扱いで、買い集めた蔵書に振り回される状況に甘んじて耐えて来た。九州から関東へ移るまでに相当の本(5,000冊くらい)を古書店に売ったが、それでもまだどうにもならないくらいの本に脅かされている。部屋に本を置く場所を確保するのに一苦労し、生活にも支障をきたす有様である。
 愛着のある本たちも、死ねばゴミである。年齢から推し測っても、これからそう多くの本を読むことは不可能だ。蔵書の整理は私にとって焦眉の急の問題なのである。(今の私の年齢までに死んだ者は多い。そう考えるとすでに本は私自身とともにゴミ化しつつあるのだ。)

 本を捨てるのには、愛書家の心の壁を打ち破らなければ、実行は難しい。武井は一体どうやってこの壁を乗り越えたのかに大きな関心があった。そう、本を処分するのはスキルの問題ではなくて、心の問題なのだ。
 以前、沢尻エリカの元主人の高城剛の本やブランド物衣料の凄まじい処分のやり方を知って、是非あやかりたいものと常々考えていた。

 武井の方法とは、蔵書の多くを、Kindleなどの電子書籍に切り替えるというものであった。この本では、Kindleの使い方、その長所と短所を多く学ぶことができたが、何といっても参考になったのは、蔵書の大部分(2万冊)を処分することに踏み切らせたその心理にあった。
 この書では、キンドル・ペーパーホワイトを利用しての読書術が様々な角度から論じられている。中でも第1章の<06>「キンドルに出会って2万冊の本を捨てた!」で、”本の置き場所がゼロになる魅力”について述べられ、この本の肝となっている。ここで著者は、読者とともに自分自身をも納得させようとしているように見える。本書はある意味、2万冊の本を処分して、未だ忸怩たる思いを引きずっている(らしい)著者自身のために書いた本でもあろう。

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 そしてこの本を読む過程で『蔵書の苦しみ』というタイトルの本を知って強く魅かれた。「蔵書の楽しみ」でなく「蔵書の苦しみ」なのだ。私はこのタイトルに接し、蔵書の扱いについて長年ひそかに苦しんできた心情を、ずばりと言い当てられた気がして一瞬どきっとした。間髪を入れず、この書をKindleで購入、ダウンロードし、一気に読了した。蔵書の大量処分こそ、今年の私のこれからの人生に関わる重大かつ深刻なテーマだったのである。

 とにかく面白くて(電子書籍の)頁をめくる手が止まらなかった。
 この本の中で最も関心を引いたのは次の言葉だ。
「どこかで思い切った荒療治をしないと、蔵書なんて、そう簡単には減らないものである。」

 蔵書の苦しみとは、空間と重量という勝れて物理学の問題である。住空間の狭隘化、本の積載荷重による家屋への負担、地震での本棚の倒壊による身体への危機、引っ越しの際の難儀、そして次第に増してくる目的の本を捜し当てる困難さである。その上体力も必要だ。
 私自身、東日本大震災のときに、家の本棚2本が倒れ、本が部屋中に散乱した経験を持つ。

 ここでは、本に関する多くの本が紹介されている。みな食指の動く面白そうなものばかりである。私自身の備忘のためにも書名を記しておく。
1、「本の運命」       井上ひさし(文春文庫)
2、「谷沢永一のこと」   開高 健(角川文庫)
3、「書物の達人」     池谷伊佐夫(東京書籍)
4、「雑書放蕩記」     谷沢永一(新潮社)
5、「日本の名随筆『書斎』」(作品社)
6、「異都発掘 新東京物語」荒俣 宏(集英社文庫
7、「完本 紙つぶて」   谷沢永一(文春文庫)
8、「おたくの本懐『集めることの叡智と冒険』」長山靖生ちくま文庫

 著者は、理想の蔵書数は500冊であるという。前述の武井にしても、どうしても処分できない(したくない)本を500冊持っていると書いている。(うち自分の著書が200冊という)やはり500冊というのが、適切な蔵書数の一つの目標なのだろう。
 ここでは、吉田健一が例として取り上げられている。(篠田一士の『読書の楽しみ』構想社、からの引用だ。)吉田の本棚に500冊というのはにわかに信じがたい、と著者はコメントしているが、事実であれば凄いことだ。この様子は篠田の本に詳しいようだからそのうちに覗いてみよう。
 本を持たない人物として、吉行淳之介高群逸枝の例を挙げているが、驚いたのは稲垣足穂である。何と本を持っていないそうだ。稲垣は、私たち詩を書いてきた人間にとっては、金子光晴と並んで神様みたいな存在なのである。

 私の蔵書数は、本棚大小5本に約2,000冊を収納(一つの棚に手前と奥に、二重に並べてある。)、また本を詰めた段ボール箱が60個ほど、正確な数は分らないが、床に積んである本を含めれば3,000冊以上あり、合計5,000冊くらいであろう。加えて、以前経営していた会社の関係資料が多くある。本書で紹介されている例に比べれば大したことはないが、それでもこれを500冊に圧縮することができるだろうか。

 夏目漱石森鴎外太宰治は無論(青空文庫で無料で読める)、池波正太郎折原一佐藤雅美小松左京赤川次郎谷崎潤一郎などは、あらかた電子書籍で読むことは可能で、紙の本は処分の対象になるであろう。逆に、三島由紀夫村上春樹は一切電子書籍化されていない。ここに電子書籍の問題点があるのだろうが、最早(良くも悪くも)書籍の電子化への流れは止められないであろう。
 似たような例は私の携わっている医療の現場だ。ここでも、様々抵抗があり多くの問題点を抱えながらも、電子カルテ化への流れが避けられなくなっているのだ。

『E=mc^2 世界一有名な方程式の「伝記」』デイヴィッド・ボダニス著(伊藤文英他訳、ハヤカワ文庫、'10.9.25)

こんなに分り易くて面白い科学の本は滅多にない。それは、著者がオックスフォード大学で科学史を教える科学ジャーナリスト、つまり歴史家だからだろう。科学オンチではあるが、何によらず歴史好きの私にはこたえられないくらい面白い。ヘンリー・ジェイムズの厄介な小説を読んでいる暇に読み始めたが、あっという間に読み終えた。
 なお、本稿を書くために再度精読し、また原子構造や核分裂あるいは天体物理学について”にわか勉強”をする羽目になったが、所詮付け焼刃の浅薄な知識なので、必ずどこかでボロを出すに違いない。その場合にはどうかお許しを願いたい。

  著者は「はじめに」において、この方程式を生みだしたアインシュタインの伝記を書くのではなく、この方程式を応用発展させた多くの物理学者たちまで手を広げるため、E=mc^2の伝記を書くことにしたと述べている。E=mc^2という方程式をめぐって展開される物理学の歴史はまさしく手に汗を握る。

 短い第1部では、アインシュタインがベルン特許局に勤務しながら相対性理論を書き、世に初めてE=mc^2を誕生させたエピソードを描く。

 次の第2部では先ず、電磁気回転という世紀の発見をしたマイケル・ファラデー生涯のエピソード、例えば彼は元は製本屋の徒弟であり、正規の学問を学んでいないことで受けた偏見などについて述べながら、彼の研究がE(エネルギー)という概念の確立に果した功績について書いている。ファラデーはある意味お馴染みの名前である。彼の名は「ロウソクの科学」と結びついて私たちの頭の中にあるはずだ。

 次に、=(イコール)という等号広めたイギリスのロバート・レコードについて簡単に触れている。

 それから、「質量m(mass)」についての項で、フランスのアントワーヌ=ローラン・ラヴォアジェが登場する。彼は、物質は形態を変えることはあっても、燃え尽きて消滅することはないことを明らかにした。興味深いのは彼の生涯だ。ルイ16世治下の科学アカデミー会員だったラヴォアジェは、後に革命政府の大立者となったジャン・ポール=マラーがかつて学会に提出した論文の審査を担当して、それを却下したことの恨みによりギロチン台の露と消えたとある。この辺りは、シュテファン・ツヴァイクの著した伝記を読むようで実に面白い。
 ただし、ラヴォアジェが逮捕されたのは1793年11月、死刑執行されたのは1794年5月だが、肝心のマラーはラヴォアジェの逮捕以前の1793年7月13日、入浴中のところをシャルロット・コルデーに暗殺されているので、マラーが直接恨みを晴らすことは出来なかった筈だ。本書の附録<他の重要人物のその後>の中で、死刑執行を命じたのは、マラーの同僚のロベスピエールだと記されている。マラーはラヴォアジェの運命について、自らの死の前に何かお膳立てをしていたのだろうか。

「光速c(celeritas)」の項では、先ず光速の測定についての科学者たちの苦闘の歴史が描かれる。それは、アインシュタインが、「c」の使用を思いつくよりも早く、光速の測定が可能と考える者がいたはずだ、という視点から述べられる。
 ガリレオ、ジャン・ドミニク・カッシーニ、オーレ・レーマー、ジェイムズ・クラーク・マクスウェルなどの研究を経て、アインシュタインに辿りつくのだ。
 cは、Eとmとの媒介係数であると著者は述べるのだが、ではなぜ「c」ではなく「c^2」なのか。

 その「二乗」の項では、運動エネルギーについてライプニッツの主張した「mv^2」(vは速度。ニュートンは「mv^1」を主張していた)を、デュ・シャトレ夫人が仲間の研究者であるウィレム・スフラーフェサンデとともに、さらに理論的発展させたことを述べている。そして、v(速度)が、アインシュタインによって、c(光速)に繋がっていくのである。
 スフラーフェサンデは、重りを軟らかい土の上に落とす実験で、速度を二倍にすると土に沈む深さは四倍、速度を三倍にすれば同じく九倍になることを明らかにした。「E=mv^2による考え方が予測していたのは、まさにこういうことだった。二の二乗は四であり、三の二乗は九である。この方程式は不思議にも、自然にとって根本的なものであるようだった。」(98頁)
 質量(m)に速度の二乗(v^2)を掛けることが物質のエネルギーを示す指標として定着すれば、「速度=v」がやがて速度の極限である「光=c」(秒速約30万km)という考えに辿りつくのは時間の問題であったろう。
 このアインシュタインの式の意味するものは、適切な条件下では、すべての物質(質量の塊)に光速の二乗を掛けたものが、その質量の塊が放出できるエネルギーの量を表す、ということだ。つまり、質量は凝縮されたエネルギーの究極の形である、と著者は結論づける。

 1905年にアインシュタインがこの方程式を発表したとき、はじめはほとんど何の反響もなかった。しかし時間を経て、「ヨーロッパの物理学者たちは、E=mc^2という式を正しいものとして受け入れた。物質を構成している凍結されたエネルギーを、放出できるような形に変換することが原理的に可能であることを認めたのだ。」「しかし、実際にそのようなことを起こすにはどうすればよいかは、誰も知らなかった。」(136頁)
 ヒントの一つは、マリー・キュリーなどが研究していたラジウムウラニウムなどの高密度の金属をはじめとする奇妙な物質にあった。エネルギーをいくら長期間放出し続けても、放出するエネルギーが全く枯渇することないことが分ったのである。ここから、物質の内部構造を探り、これらの物質の核心に至るまで深く掘り下げ、この公式が約束したエネルギーをどうすれば手に入れることができるかの研究が行われるようになったのだ。

 次の「原子の内部へ」の項では、先ず原子模型の発見者として、アーネスト・ラザフォードが登場するが、その前に(本書では触れられていないが)電子の存在を証明したJ.J.トムスンがいたことは忘れてはならない。ただ、彼は、原子はプラスの電荷を持つ粒子の中に電子があって動いているという原子モデルを提唱したが(プラムプディングモデル)、これはやがて、ラザフォードの散乱実験により否定されることになる。(ラザフォードに先駆けて、わが国の長岡半太郎が、いわゆる太陽系モデルを提唱し、やがてそれは、ラザフォードのα線散乱実験で実証された。)
 ラザフォードは、原子核の存在を確かめ、その周りを電子が円運動をしていて、原子の中はほとんど完全に空っぽだということを発見したのだった。

 次に登場するのは、ラザフォードの弟子のジェイムズ・チャドウイックで、彼は原子核の中にある別種の粒子である中性子を発見する。
 その後、エンリコ・フェルミが「中性子を標的の原子核の内部に容易に入りこませることに成功し、原子核の構造をより一層明らかにする道を拓いた。」(144頁)

 さて、いよいよ核分裂の発見者、オットー・ハーンとリーゼ・マイトナーのエピソードが語られる。ニールス・ボーア原子核のモデル(水滴モデル)を前提に、マイトナーは入射した中性子ウラニウムを真っ二つに割っていることに思い至ったが、その際アインシュタインの式によって示される量のエネルギーが爆発することが分ったのだ。
 オットー・ハーンが、ウランに中性子を照射してバリウムが生じることを発見したが、バリウムはウランの半分の大きさしかない。そんなことはありうるのか。それを解決したのはマイトナーと甥のフリッシュである。彼女はこの反応について、ウランが分裂する可能性を考えた。ウランの同位体の一つであるウラン235原子核中性子を照射することによって原子核は分裂し、バリウムとクリプトンの同位体が生じる核分裂反応であることを明らかにしたのだ。
 この核分裂の発見が、原子爆弾の開発に繋がっていき、マイトナーは原爆の母などと呼ばれることになる。

 原理的な話はここまでで(本書の分量の半分以上を使っている)、以後第4部からは、第二次大戦をはさんで、核兵器開発をめぐるナチス・ドイツアメリカのつばぜり合い、それに翻弄される科学者の人間群像、さまざまな逸話(ノルウェイの重水工場爆破のエピソードが興味深い)は、原爆をめぐる歴史秘話といった感じで面白く一気に読ませる。
 ドイツ側の中心人物は、不確定性原理を提唱したヴェルナー・カール・ハイゼンベルクで、本書では、いかにもナチスの御用学者然とした活躍ぶりが見て来たように語られるが(まるで司馬遼太郎だ)、今まで理解していたハイゼンベルクの人間像とは異なっていて、描き方にやや偏りがあるように感じた。
 アメリカ側では言うまでもなく、ロバート・オッペンハイマーが中心だ。彼が招へいした学者の中に、リチャード・ファインマンがいて、二人の間の色々なエピソードが描かれているのも面白い。アメリカ側の計画の中で、原子番号94番の人工元素、プルトニウムの誕生の物語が語られている。長崎に投下され「ファットマン」と名付けられた原爆は、プルトニウムを用いたものだ。(プルトニウムについては、高木仁三郎の『プルトニウムの恐怖』が1981年という古い本にもかかわらず、いまだにこの問題に関する必読書だ。)

 やがて、アメリカが完成した原爆が、広島の上空で爆発する場面に移るが、読むほどに原爆を投じた政治の冷酷さに慄然とする。市民が何十万人と住む都会の上空で、原発を平然と投下する決断をした政治家(トルーマンとジミー・バーンズ国務長官)の所業は悪魔にも劣らないだろう。この辺の記述は、日本人として、とても心穏やかに読むことができない。

 第5部では、「視線をより広い世界に向ける。地球の技術から離れ、E=mc^2の影響がいかに宇宙全体に及んでいるのかを示したい。恒星の誕生からあらゆる生命の終焉まで、森羅万象がこの方程式によって支配されている事実を明らかにしよう。」(248頁)ということで、先ず太陽の9割以上が水素とヘリウムでできていることを発見した女性科学者、セシリア・ペインについて語る。当時は誰もが、太陽の3分の2以上はは鉄でできていると信じていた。
 ペインに関しては、リーゼ・マイトナーに続いて、業績を不当に貶められ、偏見と闘う女性科学者としての姿を描くのに著者の筆は熱を帯びる。
 結局「セシリア・ペインの功績によって太陽など天空のあらゆる恒星はE=mc^2の反応から大量のエネルギーを生みだしていることがわかった。」のである。(261頁)

 しかし、ペインの説だけでは、説明できない問題に突き当たる。恒星が水素をヘリウムに変えながら激しく燃えていくが(水素の核融合)、やがて水素が底をつけば、E=mc^2の反応が生み出す炎は段々消えていくのだ。ヘリウムは巨大な灰の塊りとなって堆積していくだけだ。

 この難問を解決するために登場するのがフレッド・ホイルである。簡単に言えば、恒星の内部での原子核反応の仕組みを考え、水素からヘリウムへの転換をさらに一歩進め、ヘリウム原子核は、十分な温度に達したときには燃焼して炭素や酸素、ケイ素、硫黄などの原子核をつくると主張したのである。ホイルは原爆製造計画におけるプルトニウムの爆縮にヒントを得て、原理としては、恒星が爆縮して温度が2千万度から一挙に1億度になり、灰でしかなかったヘリウムが燃えるとした。さらにヘリウムを使いきったあとの灰が、恒星が再びつぶれて一層温度が高まった結果、新しく燃焼していく。

 それでも恒星(ここでは主に太陽を念頭に置いている)はいつかは燃料切れが訪れるだろう。恒星で次に起こることをはじめて見抜いたのはインド人のスブラマニアン・チャンドラセカールだ。
 チャンドラセカールの理論を簡単に言うと、燃料が僅かになり寿命が尽きて冷えていく恒星は、ゆっくりと収縮して小さくなっていき、白色矮星(何の輝きも発しない高密度の岩の塊)となって終焉を迎える。だが、質量がある一定の値を超えると電子の縮退圧が重力収縮に勝てなくなり、超新星爆発を起こして中性子星になる。そして中性子星も一定の質量を超えると重力崩壊を起こし、ブラックホールとなる。
 白色矮星が持ちうる質量の理論的な上限値をチャンドラセカール限界と言い、現在では太陽の質量の1.44倍と言われている。
 また、ブラックホールが理論的に存在することをはじめて指摘したチャンドラセカールの発見を、学界の重鎮アーサー・エディントンが「不合理」として切り捨て、ブラックホール研究が40年間近く停滞することになったことにも言及されている。 

 最後の「アインシュタインのほかの業績」では、E=mc^2を含む<特殊相対性理論>から、時空連続体の歪みなどの探究である<一般相対性原理>への道筋や、博士の晩年の姿について短く描かれ、本書は閉じられる。

 本書はあまりに多くの内容がてんこ盛り状態で、ひとつひとつの説明がやや簡略過ぎるきらいはある。例えば、マクスウェルやニールス・ボーアに関する記述などは物足りない。
 本文はあくまで歴史物語であるから全体的にざっくりとした記述だが、それを補うために巻末に詳細な注がつけられている。ただ、それを一々参照するのは面倒くさく、私自身もときどき参照するにとどまった。

 

「ヘンリー・ジェイムズ短編集」大津栄一郎編訳(岩波文庫、'07.7.12)を読む―汲めども尽きぬ文章の魅力、だが年月により風化は進む

 ヘンリー・ジェイムズは十九世紀後半から二十世紀にかけてイギリスで活躍したアメリカ作家である。(この辺は、ジェイムズを敬愛し、フランスなどヨーロッパで活躍したアメリカ作家のパトリシア・ハイスミスと酷似している。)

 まず「ヘンリー・ジェイムズ短編集」大津栄一郎編訳を読む。
 この短編集には、中期から後期へかけての以下の4つの作品が収められている。

1、私的生活(The Private Life,1893)
2、もうひとり(The Third Person,1900)
3、にぎやかな街角(The Jolly Corner,1908)
4、荒涼のベンチ(The Bench of Desolation,1910)

このうち『私的生活』と『荒涼のベンチ』の2作品は、中村真一郎の『小説家ヘンリージェイムズ』(集英社、'91.4.10)で取り上げられている。中村のこの本は、ジェイムズの長編および中短編小説のうち74作品について論考を加えた貴重な書物で、ジェイムズを読む場合欠かせないものとなっている。ほんの短い感想的なものもあるが、それぞれの作品のツボを押さえて外さない、実に見事な仕事である。一部は(特に長編を中心に)国書刊行会の『ヘンリー・ジェイムズ作品集』の巻頭の感想も含まれている。

 さて、ヘンリー・ジェイムズに寄せられる評価は多様で、なかなかかまびすしいものがある。曰く、文体の「晦渋さ」、作品全体を覆う「曖昧さ」、心理的表現の常軌を超える「執拗さ」、手の込んだ「複雑さ」、そして「怪奇趣味」など。そして、中村真一郎の言葉を借りれば、その作品は「主人公の目だけを通して見た外界と、同じ主人公の内面での想像のイメージとだけから構成」されている。
 こんな作家ゆえか、ジェイムスは”研究される作家”の筆頭に位置するようだ。『ヘンリー・ジェイムズ研究』(南雲童'77.11.10)の巻末には、汗牛充棟ただならぬほどの研究文献が紹介されている。小説をあたかも哲学書であるかのごとく、分析したり、研究ばかりしていてもしょうがないのだが・・・。

 この短編集に収められている中短編は、初期の『デイジー・ミラー』に見られるような平衡感覚は影を潜め、先に指摘した、晦渋、曖昧、執拗のお手本のような作品だ。

 ここでは先ず、『私的生活』について見てみよう。
 冒頭のスイスの氷河を絡めての描写とそれに続く最初の頁は実にうまいと思った。
「そそり立つ太古以来の氷河を目の前にして、私たちはロンドンのことを話し合った。」で始まる出だしの巧みさは何度読んでも感嘆させられる。

 この作品を訳者が解説で謎解きをしているし、中村真一郎もほぼ同一の指摘を行っている。主要な登場人物である貴族には公的生活があるのみで、私的生活はなく、一方文壇の大立者である流行作家にはゴースト・ライターの分身が存在し、表の流行作家は凡庸な社交家に過ぎない。大津は、そのゴーストライターの存在は、その流行作家クレア・ヴォードレーに対する「私」の嫉妬心と軽蔑心からの幻覚であると指摘する。「私」はこの作品の叙述者で、作者を思わせる冴えない二流作家である。

 最初に読んだ時には、人が消えたり、影の存在があったりで訳のわからない不気味さ、不思議な雰囲気を感じたのだが、謎解きの後に読み返してみると、公的生活と私的生活を寓話的に描かれているのが、そこだけが作り物めいていてやや浮いた感じがする。
 まあ、謎解きがあまりに明快すぎては、作品のトータルな理解や美質を損ないかねず、大きなお世話かもしれない。

 また『荒涼のベンチ』は、大人の童話あるいは寓話めいているが、プロットだけ見ると、いたって不自然、いや非現実的な作品である。
 作品の前半と後半では、ケイト・クッカムの人物イメージが違い過ぎる。ハーバート・トッドは、前半では彼女について「生まれつき下品で、粗野で、本質的に意志過剰で、良心が欠如している」など口を極めてその悪女ぶりを非難しているが、後半では一転して、謙虚で、悲しみを内に秘めた淑女を思わせる人物に描かれている。これは、作品が一貫してトッドの心理的視点から描かれているため、トッドのその時々の感情のうごめき、つまり憎悪や嫉妬、あるいは精神の衰弱からくる幻覚、また悲観などから、ものの見方にバアイアスが掛っているためかも知れない。トッドがクッカムのために借財を負わされ貧窮に沈み、またその後結婚した妻と二人の子供を亡くし、ついに精神に変調をきたしたことは容易に想像できる。10年後にクックがトッドの前に現れ、大金を差しだす。一読美談めいてはいるが、二人が再会した後、あたかもトッドという蝿がクッカムという女郎蜘蛛の巣に絡め取られていくように見えるのは僻目(ひがめ)であろうか。

 この作品は、ジェイムズ晩年の円熟の極致とでも言うべき手法で描かれるが、その描く事実、トッドとクッカムの男女関係は荒唐無稽としか言いようがない。朦朧、執拗というジェイムズの特徴は、ジェイムズの手法にも増して、衰弱したトッドの精神状態の反映とも見える。

 この後、『デイジー・ミラー』西川正身訳(新潮文庫、H.19.7.15)と、『ねじの回転』南條竹則他訳(創元推理文庫、'07.4.13)を久しぶりに再読したが、紙数も尽きたので感想は略す。ただ、ジェイムズの書いた多くの作品は、100年を閲(けみ)した風化しつつある小説であり、大学のの英文学研究者や余暇を持て余している贅沢な人たちを除く一般の読者が、忙しい日常の合間を縫って読むべき書物ではあるまい。

「変身の恐怖」 パトリシア・ハイスミス 吉田健一=訳(ちくま文庫、'97.12.4)―彼女の最高傑作?

この小説を充実感をもって読み終えたが、それにしてもタイトルの「変身の恐怖」という訳語はピンとこない。元のタイトルは"THE TREMOR OF FORGERY"である。TREMORは「恐怖や興奮による震え」、FORGERYは「偽物、偽造行為」という意味である。

 これは先ず、主人公のインガムがタイプライターを投げて殺した(と思われる)行為の自分自身や恋人のアイナに対する正当化、あるいは隠蔽を企図して自己の意識又は潜在意識に働きかけるさまざまな欺瞞の操作への嫌悪感を意味するのであろう。もう一つは、チュニスという北アフリカの非キリスト教の始原的空間に、アメリカ人としての規範的な生き方、考え方が次第に崩れていき、遂には殺人すら日常的な風景としてしまう世界に慣れてしまう異邦人的な生き方への怖れをも意味しているのであろう。

 他方、インガムやアダムスが背負っているいかにもアメリカ人としての規範、例えばアダムスが行っている冷戦下でのロシア向けの放送に盛られた十字軍的なアメリカの体現している(いかにも偽善者然とした)価値そのものが、FORGERYということなのかも知れない。

 それにしても、この作品は厳密な意味でミステリー小説とは言えないものだ。エンターテインメントの要素は強いが、しかし普通の小説だ。まあ敢えて言えば、ある種のクライム・ノベルであるのかも知れない。ハイスミス自身、どこまで本音か分らないが、自分ではミステリもサスペンス小説も書いているつもりはない、というような発言をしているらしい。(『見知らぬ乗客』の新保博久の解説)
 本書の解説(滝本誠)は、パトリシア・ハイスミスの全体像についての極めて優れ分析・把握がなされていて、間然とする所がない。ハイスミスに関心のある方は是非目を通していただきたい。

 もう一つ付け加えれば、ハイスミスヘンリー・ジェイムズの鬼子ともいうべき作家である。ヘンリー・ジェイムズの特徴は、大津栄一郎によれば難解な「曖昧性」(『ヘンリー・ジェイムズ短編集』岩波文庫の解説)とすれば、ハイスミスの小説の特徴を前述の滝本は「緊迫」と言う。さらに踏み込んで言えば、緊迫から生れてくる「不安な宙ぶらり感」ということになるであろう。
 どちらも屈折して執拗な心理描写が作品の中核をなしているが、ジェイムズの小説を読むと、ただ執拗だけではなく、とても一筋縄でいかない、咬みしだくのも難儀な曖昧さが残る。その執拗な心理描写には、必要以上に長すぎるという印象や技巧のための技巧といった手練を感じる。

 ジェイムズについては、モーム「たしかに物事の表面を、彼ほど鋭い眼をもってくまなく探りまわした者はほかにいない。だが、その表面の下にある深みに、彼が少しでも気がついていたというしるしは、ひとつとしてない。」と言い、巷間ジェイムズの最大傑作と呼ばれている長編『使節たち』(『大使たち』とも訳される)を「内容があまりにも空虚」「羊の骨のようにねじまがった文体」「読んでいて退屈」などと酷評しているのが面白い。(モーム『読書案内』岩波文庫。この本はいかにも面白可笑しいが、モームの見方には独特の偏りがあるので、まあ、話半分位と思っておけばいいだろう。)

 この作品中には、インガムが「ヘンリー・ジェイムスのものが読みたくなってその日と晩を何とかジェイムスの散文を読まなければ過ごせない感じになり、テュニスまで車で行ってやっとモダン・ライブラリー叢書で『ねじの廻転』と『大家の教訓』が一冊になったのを見つけて来たことがあったのを思い出した。」(373頁)という一節がある。ここは、ヘンリー・ジェイムスを愛読するというハイスミスの本音を伺わせるところだ。

 パトリシア・ハイスミスの興味深いスイスの山中での執筆や生活の姿が、『推理作家の発想工房』南川三治郎著(文芸春秋、'85.9.1)で見ることができる。74歳で亡くなったハイスミスの65歳の時の貴重な写真だ。

 なお、グレアム・グリーンは、この作品をハイスミスの長編小説の最高傑作として、もしこの作品のテーマを何かときかれたら、”不安感”と答えると言っている。(『11の物語』<序>、ハヤカワ文庫)

「見知らぬ乗客」パトリシア・ハイスミス 青田勝=訳(角川文庫、H10.9.25)―これはま紛う方なき現代の”罪と罰”だ

パトリシア・ハイスミスは、前回『11の物語』を取り上げたが、続いて最初の長編である本書を読み、再び唸ってしまった。解説(新保博久)によれば、1950年、29歳の時にニューヨークのハーパー社から刊行されたとあるが、ハイスミス怖るべしである。交換殺人という設定は、彼女のこの作品をもってその嚆矢とするようだ。(新保博久の解説のよれば、交換殺人というトリックは、別に全く独自に、ニコラス・ブレイクが『血ぬられた報酬』で開発し、その後フレデリック・ブラウンなどが手を変えて描くようなったそうである。)
 この小説ミステリー仕立てであるが、謎ときが主眼ではなく、登場人物の心理の動きに重点が置かれていて、どちらかと言えばクライムノベルあるいは純文学に近い作品と言えよう。(ドストエフスキーの『罪と罰』だってミステリー仕立てなのだ。)

(以下は、ネタバレを含む)

 周到なプロットと殺人を冒す2名の登場人物の綿密な性格描写、犯行後彼らが自ら手を染めた殺人という人間にとって最悪の行為によって、徐々に人格が蝕まれ、崩壊してゆく心理の過程を執拗に追って行き、遂には思いがけない結末に至る重厚で巧みなストーリー、そしてドストエフスキー級の圧倒的な筆力、どれをとっても感嘆の溜息のでる仕上がりとなっている。作品が生まれてからすでに60年以上経っているが、少しも古さを感じさせないのは見事だ。
 性格異常者であるブルーノーも極度に悪辣というのではなくどこか憎めない存在で、彼のたどったあっ気なくも悲劇的な結末は一抹の哀れを誘う。

 交換殺人に至るそれぞれの殺意の必然性が上手く書き分けられていて不自然さがないのは立派だ。特に心中の様々な弱みを衝くブルーノーのストーカー的な迫り方に心理的に追い詰められて行き、ガイが切羽詰まって殺人を行う筆の運びは実に巧みだ。

 この作品は、現代版”罪と罰”である。主人公ガイの罪はたまたま(*)予期せぬ契機が重なって起こり、罰は心の内と外から加えられる。彼は、増幅していく自責の念から次第に人格が崩壊して行き、その結果彼の外の世界(結婚生活や知人との関係、仕事を通じての社会的立場など)が瓦解に向かう。
(*)レナード・ムロディナウの『たまたま』(ダイヤモンド社、'09.9.17)に次のような一節がある。
「人生の輪郭は、どう対応するかで運命が決まるいくつものランダムな出来事によって、キャンドルの炎のようにたえず新しい方向に移ろっていく。だから人生は予測しがたくもあるし、解釈しがたくもある。」(同書8頁)

 周知のとおり、ヒッチコックがこの作品を映像化したのは、小説発表の翌年の1951年のことである。まだ無名に近いハイスミスの作品の映画権を直ちに買いあげたヒッチコックの慧眼に驚く。ヒッチコックをしてこうした行動に走らせた強い動機は、無論”交換殺人”のアイデアであろう。列車でのガイとブルーノーとの出会いから、第1の殺人までは、ガイが建築家ではなくテニスプレイヤーとなっていることを除けばほぼ原作どおりだが、以降の展開は小説とは全く異なり、いわゆるヒッチコック流のサスペンス・タッチ仕立てである。まあ、交換殺人というアイデアと主要登場人物のキャラクターと名前(ブルーノーだけは一部変えられている)だけがハイスミスの作品と共通しているだけで、一篇の作品としては全く別物と言っていいだろう。小説はハイスミス特有の不条理で後味の悪い仕上がりだが、映画はハッピー・エンドとなっている。

「11の物語」パトリシア・ハイスミス 小倉多加志=訳(ハヤカワ・ミステリア・プレス文庫、'97.10.31)―まさしく”不安の研究”(グレアム・グリーン)そのもの

一読して感嘆した。人間の本性に対する洞察力の鋭さ、深さに脱帽。何もなければごく安定してみえる人間のこころ(精神)の何という頼りなさ、脆さ、そして危うさ!
 この11編の作品に描かれているのは、日常生活や人の理性のぽっかり空いた裂け目から頭をもたげてくるぐにゃぐにゃとした不気味な不安と狂気だ。

 それにしてもパトリシア・ハイスミス(以下”P.H”という)作品の巧さは尋常並大抵ではない。天才的と評しても過言ではないだろう。ちなみに『アフトン夫人の優雅な生活』の冒頭の文章を見てみよう。

「その日の午後、レキシントン・アヴェニューの一階にある診療室の窓からじっと外を眺めていた精神分析医フェリックス・バウアー博士には、時間の流れがのろのろとして止まっているように感じられた。流れているにしても、進んでいるのか溯っているのか判然としなかった。通りは渋滞しており、ぎらぎらした日射しの中で、赤い新号灯を前にしてあとからあとから詰めよる車のクロームの部分が白熱したように光っていた。バウアー博士の診療室は冷房がきいているので、実のところ気持ちよくひんやりしていた。が、何となく―理性がそう判断したのかもしれないし、勘が働いたのかもしれないがーおもての暑さが感じられた。その熱気を思うと憂鬱だった。」

 主人公の鬱陶しい心象と、車が渋滞する窓外の風景が交錯して二重写しになり、時間の感覚と光と色感と温度感が渾然として、言うに言われぬ不安と憂鬱さが醸し出されている。名人芸と言っていいだろう。

 それから、『もうひとつの橋』の中から、交通事故で妻と一人息子を失い、旅に出た主人公のメリックの心象が描かれた部分。

「彼女を失ったうえに、大学を出て兵役をすませ、新婚そうそうで、これからいよいよ生活をはじめようとしていた息子まで失ったことは、それまでの彼の人生における信念をぐらつかせるのに十分だった。勤勉の美徳、正直、人間同士の尊厳、神の信仰・・・・それらがとつぜんひどく薄っぺらでむなしいものになったのに反して、葬儀の行われた教会に置かれた妻の息子と死体は、石と同様に現実のものだった。家の中の空虚さは現実だったが、男らしい剛毅さといった抽象的な理想はもう現実感がなかった。」

 この実存主義的な文章は、まるでアルベール・カミユを思わせる。私の苦い経験から言えば、”人”が肉体的あるいは社会的に解決不可能な絶望的極限状況に追い込まれた場合、道義も友情も信頼も踏みにじり、平気で道を外れ、他人を裏切り、嘘もつく。(この”人”とは、例えば大昔の私のことだ。)ここで生まれる喪失感というものは、かくも人間の現実感覚を失わしめるものなのだ。

 この短編集には、(私が勤務している)精神科の患者になりそうな登場人物が多い、というより大部分の人物がそうだ。例を挙げてみよう。
『恋盗人』のドン、『すっぽん』のヴェクター、モビールに艦隊が入港したとき』のジェラルディーン、『アフトン夫人の優雅な生活』のアフトン夫人ことフランシス・ゴーラム、『野蛮人たち』のスタンリー、『からっぽの巣箱』のイーディス、などなど。
 病名は?<統合失調症うつ病、さまざまな人格障害・・・。>

 P.Hの執拗な心理描写は、ダシール・ハメットなど米国のハードボイルド系の作品と対極にあるものだ。テキサスうまれの彼女がアメリカでよりヨーロッパで多くの読者を獲得しているのもむベなるかな、である。

 短編小説というジャンルの中では、P.Hはサキやモーパッサンの縁続きに位置づけられるだろう。P.Hはモーパッサンに比肩しうる鋭利な観察力の持ち主だが、モーパッサンのようなかっちりした描写の的確さと比較すれば、P.Hの描写の対象には霧のように一筋縄ではいかないバイアスがかかっており、人間性の中にある怪しさ、残酷さにより焦点が合わされている。また、モーパッサンと同様、狂気を主題にした短編を多く書いている。(例えばモーパッサンでは『山の宿』。この作品を引き継ぐのは、ゲオルグビューヒナー『レンツ』であろう。)
 切れ味の鋭さや怪奇趣味は、サキに通じる。本書の序でG.G(グレアム・グリーン)が書いているように、サキの傑作『スレデニ・ヴァシュター』とP.Hの『すっぽん』においては子供の残虐性が扱われているし、動物の冷酷さがメインテーマになっているという点では、サキのこの作品と、P.Hの『かたつむり観察者』『クレイヴァリング教授の新発見』(いずれも「かたつむり」が登場)とに共通点が見られる。

 私の好みで言えば、次の作品が好きだ。モビールに艦隊が入港した時』の次第に明らかにされて行くジェラルディーンの素性と狂気に満ちた夫婦生活、それに何より逃げ場のない残酷で絶望的な彼女の運命が強烈な印象を与えるし、また『ヒロイン』のルシール・スミスの内在的な狂気の素質が次第にむき出しにされていって、遂には大惨事を引き起こすに至る病んだ心の動きが実にリアリティに富んでいて舌を巻く。

「小説家になる!」中条省平著(ちくま文庫、'06.11.10)−言葉の力を認識する

再読だが、やはり刺激的で啓発されるところの多い書物だ。
 タイトルのように小説を書くための直接の技法が書かれている訳ではないのだが、小説のメカニズム(第1部)を明らかにし、具体的にいくつかの”名作”(と著者が考えている作品)を取り上げて分析し(第2部)、迂遠な方法ながら小説の書き方に多くの示唆を提示している。
 また、作品の解説中に散りばめられた、著者が太字で強調するコンセプト、”行動主義””優れた風景描写は五感を総動員””サブリミナルな効果””歴史性の認識””小説という言葉の地獄を発見する物語”などは、いかにも知的遊戯の趣があって面白く、読む者の脳を大いに活性化させてくれる。

 本書で著者が取り上げた作品は意外なものが多いが、読み進むにつれ、おぼろげながら著者の選択の意図が胸に落ち、小説読みとしての眼力が納得できた。ただ心なしか、これら作品の選び方にあるバイアスがやや気にはなった。
 第1部では、『転身物語』(オウィディウス)、『催眠術師』(マンディアルグ)、『妻を殺したかった男』など(パトリシア・ハイスミス)、『黒豹ダブルダウン』(門田泰明)、『夏の流れ』(丸山健二)、『わたしは真悟』(楳図かずお)、『風の谷のナウシカ』(宮崎駿)、『自虐の詩』(業田良家)が取り上げられる。(ただし『黒豹・・・』は反面教師として。)
 第2部では、『月』(三島由紀夫)、『鮨』(岡本かの子)、『眠れる美女』(川端康成)、『蜜のあわれ』(室生犀星)『まごころ』(フロベール)など。

 著者の『反=近代文学史』や『文章読本』(どちらも中公文庫)に引用されている作品は、本書に比べればかなりオーソドックスである。本書のユニークさは、少しペダントリーの匂いがしないでもない。

 本書で、物語性を持った芸術ジャンルとして、小説と並行して映画とマンガに言及しているのは、実に正しい。現在では、映画とマンガが表現手段としても影響力にしても、また商業性でも小説を圧倒している。
 人類が他の動物に優って進化を遂げたのは、火と言葉の発明による。小説の復権のチャンスは、こうした言葉の根源的で呪術的とさえ言える力を腹の底から認識することから始めなければならない。その意味で、ここにある作品たちは、言葉が本来の在り方に近づいた奇跡的なものばかりだ。(勿論『黒豹・・・』は別だが。)
 小説は”言葉”の芸術であるにも関わらず、いま量産されて書店の店頭を飾っている作品の多くは言葉にあまりにも無頓着すぎる。読んでいて言葉に躓く作品があまりに多すぎる。もっとも、無頓着でなければこれほど量産もできないだろうが。

 前作の『小説の解剖学』は読んでいないので本書に限って言えば、ユニークな取り上げ方をされたそれぞれの作品に対する行き届いた分析には教えられるところが多く、私にとっては有益な書物であった。