「年収100万円の豊かな節約生活術」山崎寿人(文藝春秋、11.6.25)を読んで、伯夷・叔斉の生きざまを想う。

この本の売りは、題名のとおりの極度の節約生活と、その著者の華麗な経歴との落差にある。この落差がある種の読者にとって精神安定剤的な働きをすることになることは、容易に推測できる。編集者の狙いもその辺あったろう。老若男女を問わず就職難にあえぐ今の時代に媚びた、というか、ある意味愚弄した企画と言える。このような本が世に現れると言うのは、今が末世の証しなのであろうか。

 著者の紹介文によれば、何しろ、東大経済学部卒で、大手の酒類メーカーで広報マンとして活躍し、30歳で退職(その理由も本文中にある)、日本新党の立ち上げに関わったりしたのち、20年間をプータロー生活で過ごしているという、羨ましくもあきれた人物である。著者は節約生活の素晴らしさを説きつつも、料理に抱くだわりは凄まじく、少ない予算でこれだけのご馳走が作れるという料理レシピを嬉々として語る。

 30歳頃から働き盛りの20年をプータローで過ごし、自ら社会不適合と開き直り、現在の日本社会で懸命に生きる人々の苦悩から超然とした生き方を綴った極めて不謹慎な内容で、読み終わって空虚さだけが残った(読むのに1時間もかからなかったが)。料理のレシピ本と割り切れば、別に腹も立たないが、著者の意図はあくまでも年収100万円でいかに快適な人生を過ごしているか、残業を強いられてあくせく働くのがいかに馬鹿げたことか、というところにあるのだ。本書は、社会から完全にドロップアウトする隠遁生活のレシピ本でもある。今の社会についての著者の何の考えも読みとることができない。

 こんなとぼけた本を読んで反射的に思い出したのが、隠遁生活と言っても、内なる道徳律に従い、己の信念を曲げずに義に殉じた<伯夷・叔斉>の故事である。「史記」冒頭の<伯夷列伝>によれば、伯夷・叔斉は、臣下の身でありながら周の武王が武力を以て主君の殷の紂王を討ったことを認めず、”周の粟(ぞく)は食らわず”と言って首陽山に隠れ、わらびを採って命をつないでいたが、最後に餓えて死んだという。彼らが死の直前に残した詩がある。

  彼の西山に上り、其の蕨を采る。
  暴を以て暴に易(か)へ、其の非を知らず。
  神農・虞・夏、忽焉(こつえん)として没(お)はる。
  我安(いづ)くにか適帰せん。
  于嗟(ああ)、徂(ゆ)かん、命之(こ)れ衰へたり。

 論語孔子は4度、伯夷・叔斉について言及している。
「伯夷・叔斉、旧悪を念(おも)わず。怨み是(ここ)を用(もつ)て希なり」(公冶長)
「伯夷・叔斉は何人ぞや。古の賢人なり」(述而)
「伯夷・叔斉、首陽山の下(もと)に餓う。民今に到るまでこれを称す」(季氏)
「其の志を降(くだ)さず、其の身を辱しめざるは、伯夷・叔斉か」(微子)

 江戸初期の碩学儒学者伊藤仁斎は「童子問」の中で「論語」を”最上至極宇宙第一の書”としたが、孔子は「述而第七」の中で次のように言っている。この短い言葉は、「年収100万円・・・」の一冊を遥かに凌駕していると思うが、如何?。
―「子の曰(のたま)わく、疎食を飯(くら)い水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中(うち)にあり。不義にして富み且つ貴きは、我れに於いて浮雲の如し」