「永遠の吉本隆明」橋爪大三郎著(洋泉社、'03.11.21)−吉本隆明は、高踏的な知的ディレッタントだ

 前回に引き続いて、吉本隆明についてもう少し述べる。

 ところで、橋爪大三郎の『永遠の吉本隆明』を読んで悲しくなった。橋爪ともあろう碩学が、しどろもどろで吉本の弁護に終始している。橋爪は吉本より二回り(24歳)若く、ちょうど学生時代に吉本現象に遭遇した年代だ。しかも現在は、吉本の学んだ東工大の教授をしている。こうした態度は、さまざまな心情的なシンパシーと、かつて自分が信奉した吉本を否定すると自らの青春の情熱を否定してしまうことへの懼れという、自らは正視したくないだろう秘めた動機があったからではないのか。それは贔屓の引き倒しにならないのだろうか。

 第2章で、吉本の本が読まれなくなった、そのなり方を、(詳しくは述べないが)ゴータマ・ブッダとの類似性を引き合いに出して弁護するなどは、“おいおい橋爪さんよ、どうしたのだい”と言いたくなるような滑稽さである。

 第3章に至って、こうした滑稽さは頂点に達する。吉本の「反核運動批判」に関して、橋爪は70年代以降のヨーロッパの冷戦にからむ国際軍事情勢を解説した上で、「吉本さんは、大筋で的確に、終結しようとする冷戦、そして冷戦以後の世界を見ていたと思います。」と吉本に賛美を送っているが、橋爪が縷々述べる世界の政治・軍事状況の分析・展望は多分にナイーブで、ご都合主義的である。

 吉本の麻原彰晃に対する、推定無罪を根拠にした刑法の公正・適切な万人平等の適用を旨とする一種好意的ともとれる発言を、橋爪は吉本隆明は一貫して原則的立場から発言してきた」と一般論を持ち出して弁護しているが、現実としての個別事件(actuality)を抽象的・一般的理論(empty theory)で反論しても説得力はない。

 そもそも吉本の論壇出世術は、何でもかんでも世間で主力となっている勢力や考え方のアンチテーゼとして、その相手勢力や特定の有力者に狙いをつけて、徹底的に、激しいややもすれば下品な言葉で糾弾する、そして人格攻撃も辞さず、これを少数者の勇気ある稀有な意見だとして喝采を浴びる、というものであった。そしてドイツ観念論の病的な表現」佐藤優、前回参照)とともに、詩作で手に入れた難解な修辞・用語を駆使して、いかにも深遠な真理を述べているような幻想を読者に与える。 

 更に問題なのは、国家の発展段階論である。その理論は、弁証法ヘーゲルマルクス流の目的論的な歴史決定論に毒された時代錯誤にして、ソシュールやそれに連なる構造主義などの思想で既に乗り越えられた考え方である。
 それは、例えばヘーゲルの『歴史哲学講義』(長谷川宏訳、岩波書店)を少しめくってみれば歴然とする。これは十九世紀の歴史観である。
「人間には、現実に変化していく能力があり、それも、よりよいものへの変化であって、つまりは、完全なものをめざす衝動があると思える。」
「発展の原理は・・・・、内的な方向性が前提としてもとから存在し、それがおもてにあらわれるという形をとります。この形式的な方向性を決定するのが、世界史を活動の舞台とし、そこを自分の本領とし、自己実現の場とする精神にほかならない。」
「さて、世界史は、自由の意識を内容とする原理の段階的発展としてしめされます。」

 またマルクスは『経済学批判』序言で経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョワ的生産様式を挙げている。
 橋爪は、吉本がこのマルクスの理論を踏まえ、ヘーゲル弁証法(また弁証法だ)にヒントをえて、<アフリカ的段階>という考え方を打ち出した、と述べる。この奇妙なアイデアについては、もはや論評不可能である。

 橋爪も、芹沢俊介も(『主題としての吉本隆明』春秋社)こうした吉本の歴史決定論的な考え方に与しているのは情けない。

 橋爪の著作で引用されている小熊英二の『<民主>と<愛国>』(新曜社、’02.10.31)において捉えられている吉本こそが、もっとも客観的に冷静に観察した吉本の実像に近いのではないか。
 前掲書で小熊は吉本隆明を分析するため、吉本の思想を二つの文脈から検証している。一つは、戦後知識人の革新ナショナリズムと、吉本の関係で、もう一つは、吉本の戦争体験が、彼にもたらした影響である。これは吉本へのなかなか優れたアプローチであると思う。

 この辺は、直接この本に当たって貰った方がいいが、一つだけ、小熊の鋭い洞察力(それは鶴見俊輔の洞察力でもある)に感銘した見解を紹介してみたい。なぜならば、私が吉本の本質をあくまでも詩人であり、それ以上でも以下でもないと漠然と考えていたことを、小熊がとうに明晰に看破していたからである。

 小熊はこう述べる、出世作の『高村光太郎』で描かれた「知識人」と「大衆」の二項対立をもとに、「吉本が先端的な言語と土俗的な言語のあいだ」に存在する「捩れの構造」の解決として提示した方法が「客観描写を内在化(主体化)する」ことであるが、後年吉本はこうした状態を、「大衆の原像を繰りこむ」と表現した、として次のように続ける。「これは詩人であった吉本が、世界のすべてを自分の詩のなかにとりこんでしまう希望を表現したものと言ってよかった。吉本が『高村光太郎』において、こうした方法論を提示したのも、文学表現を行うさいの姿勢としてだった。ところが彼は、のちに政治評論を書くようになっても、同様の論理を維持しつづけた。」(前掲書「第14章 「公」の解体」)

 また小熊が引用した鶴見俊輔の見解は前回述べたとおりで、一部重複するがもう少し検証してみる。

「詩においては、言葉とものとが区別されないことによって、詩独自の世界が成り立つ。言葉はここでは『もの』そのものである。」(「鶴見俊輔著作集第2巻」)
 小熊は、詩人にとっては言語表現と現実世界は同じものなのであると言い、その前提があるからこそ「詩は未開人の呪術とおなじように、力を発揮する。」

 鶴見によれば、吉本は、「詩における言葉の魔力を、理論的散文の世界に、言語の約束上不当なしかたで持ち込んでいる」、それゆえ「現実についての実証的分析を拒否する排他的信仰をつくり出す。」そして「吉本の理論においてカテゴリーがしばしば現実と混同されるという事情が、吉本の理論に異常な純粋性を与えている。」とし、実例として擬制という言葉の学生のあいだにおける流行を挙げる。(「 」は鶴見の前掲書からの引用部分)

 なお、ここに鶴見が言う<カテゴリー>とは、厳密にはカントの言う<純粋悟性概念>なるものであり、「カテゴリーは、ア・プリオリな概念であり、従って経験にかかわりがない」と考えれば理解がいく。(「純粋理性批判」篠田英雄訳;167)

 吉本隆明については語るに飽いた。一応結論らしきものを述べて終りにしたい。
 −吉本隆明とは、は60年代に咲いた、高踏的な知的ディレッタントという徒花であった。