『日本人は知らない「地震予知」の正体』ロバート・ゲラー著(双葉社:'11.8.31)−<南海トラフ巨大地震被害想定>は、官学挙げての免罪符売りか、予算獲得のための実績誇示か?

国の二つの有識者会議(*)がマグニチュード9級の「南海トラフ巨大地震」の被害想定を発表した。気を付けたいのは、<被害想定>であって、<地震予知>ではないことだ。大袈裟にいえば、1年先か、もしかして千年先か分からぬ大地震の被害想定なのである。なぜこんなことになったのか。

 ゲラー教授の本を読んで分かったことだが、76年10月に旧科学技術庁に設置された「地震予知推進本部」が阪神・淡路大震災後の95年6月に廃止され、新たに「地震調査研究推進本部」(推本)が設置されたことにある。つまり『政府が「地震予知はできないと認めた』と解釈するのが普通であろう。」とゲラー教授は言う。この体制の目玉プロジェクトが、ほとんど的中したことのない大地震ハザードマップなのである。(しかし、ハザードマップは、確率論的地震動予測に基づいており、そこには自ずと予知の部分を含む。)

 著者は、「ハザードマップ自体は2005年以降に作成されたものであるが、実際過去に起きた地震と合わせてみると、このマップの問題点がより鮮明になる。大震法の施行後に10人以上の死者・行方不明者を出した地震は、このハザードマップにおいて、比較的リスクが低いとされている場所ばかりで発生している。」とバッサリ切り捨て、
「そして今回の東日本大震災では完全に予測がハズれている。このような非科学的で意義がないハザードマップでいたずらに国民の不安を煽ることは金輪際やめるべきである。」と結論づける。

 現在の地震学では、地震の予知は不可能なのである。起きた場合の被害規模は、歴史的文献を見れば明らかで、何も目新しいデータとして有難がる必要はない。(歴史に残る南海トラフ巨大地震については最後に少し触れる。)
 もしかして、毎年膨大な予算を蕩尽した上、阪神・淡路大震災東日本大震災の予知に完全に失敗して大恥をかいた推本を初めとする政府機関や学者連中、つまり官学が総力を挙げてばか高い免罪符を国民に売りつけているのかもしれない。
 また、これを伝えるマスコミは何の批判も加えず、国の発表を丸のみして伝え、いたずらに不安を煽るだけになっているのも首を傾げる。
 そろそろ来年度の予算編成が目前にきているので、予算獲得のための実績誇示の一環なのか、とつい邪推が働いてしまう。
(*)1、「南海トラフの巨大地震モデル検討会」(内閣府
  2、「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」(中央防災会議防災対策推進検討会議)
 下記は、2つの有識者会議の委員名簿である。これを見ると、1、は主に大学を初めとする研究者グループであり、2、は大学の研究者の他、業界団体や民間企業、そして地方自治体からのメンバーが多く含まれているのが分かる。また阿部勝征氏と今村文彦氏という権威ある大学の研究者が2つの会議のメンバーにダブって入っており、彼らの学識から考えて、会議をリードする立場となっていることが想像でき、2つの会議の結果が似たようになるのは当然かも知れない。
南海トラフの巨大地震モデル検討会委員名簿
南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ委員名簿

 ゲラー教授のこの本は、日本人必読である。大マスコミが先頭に立って煽り立てて南海トラフへの恐怖一色に染められてしまった世間の風潮に対する<異議申し立て>として、またわれわれが複眼的思考を養う意味でも。
 教授の指摘するように、東海地震の切迫した危険性が喧伝されるようになったのは、'77年2月に「地震予知連絡会」の会報に発表された石橋克彦氏(当時、東大理学部助手)が発表した「駿河湾地震の可能性」というレポートであった。ただ、石橋氏は極めて良心的な研究者で、2006年4月2日に東海地震説に関するいわれなき批判・中傷に対する反論手記の中で、東海地震の切迫性の主張の誤りを素直に認めている。下記の石橋氏のコメントを読めばその主張には真摯に耳を傾けさせるものがあることが分かるだろう。
石橋克彦:2006年3月27日付静岡新聞1面記事<東海地震説に「間違い」>は「誤報」
(なお、石橋氏は、'11年11月29日に「日本記者クラブ」主催の記者会見で、従来の日本列島の地震テクトニクスの基本的な枠組みは大丈夫なのかと注目すべき発言を行っている。つまり、南海トラフの巨大地震フィリピン海プレートが沈みこんでいるために起きるということで本当によいのか、と従来の考え方に疑問を投げかけ、西南日本は、ユーラシアプレートと別れた”アムールプレート”上にあると考えた方がいいと主張する。詳しくは、web上で読むことができるので、参照していただきたい。)

 以後、東海地震予知のため膨大な予算(ゲラー氏によれば毎年100億円規模)が投じられ、マスコミ報道で多くの国民をパニックに陥れてきた。それから35年、この地域でこれまで地震は全く起きていない。今回はその東海地震を含む南海トラフ巨大地震の被害想定が、突然二つの有識者会議により相次いで公表されたのである。おいおい大丈夫か、と言いたい。

 今まで、日本の有識者たちは一度も過去の巨大地震を予知したためしがない。推本が公開している<大地震ハザードマップ>作成の根本思想となっている「確率論的地震動予測」と、”地震は周期的に起きる”とする「周期説」は地震予知を唱える有識者たちの二つの大きな理論的支柱だが、これが学問的根拠のないことはゲラー教授の言うとおりであろう。このことは、マーク・ブキャナンの『歴史は「べき乗則」で動く』(ハヤカワ文庫NF)でも学んだ。

 ゲラー教授は、単に地震そのものの発生に目を背けている不可知論者ではなく、日本の(ゲラー教授の言う)御用学者が地震発生の大前提としている下記の2つの説を廃して、地震発生のメカニズムを探る新しいパラダイムを探すべきだと主張しているのである。
(1)大きな地震は繰り返して起きる
(2)大きな地震の前に確実に前兆現象がある

 そしてゲラー教授は以下のように述べる。
マグニチュード9クラスの東日本大震災において、前兆現象など微塵も見つからなかった。大地震は「東海」「東南海」などと区切られたエリアで周期的に起きるという思い込みは、今日限り捨てるべきである。ありもしない「前兆現象」の呪縛から、私たちは一日も早く逃れなければならない。」
地震予知にまつわる学説が誤りだとすれば、それに依拠する地震対策の政策も、すべて見直す必要がある。「東海地震をピンポイントで予言する」などという非現実的な試みに血税をつぎ込むのはやめるべきだ。そして、地震予知制度の根拠となっている大規模地震対策特別措置法(大震法)は即座に撤廃されるべきである。」

 その上で、目先の地震予知事業に巨費を投じるのではなく、もっと基礎科学に十分な投資を行うべき、とし、地震学者は震災軽減の努力をすることが、社会に対して果すべき義務であると言う。災害を軽減をするための仕事は第一に政府や国民に対するすばやく正確な情報伝達であり、第二に地震工学の基礎研究と耐震構造への応用であると言う。

 ただ、「大震法」についてはゲラー教授とは若干考えを異にする。確かにゲラー教授の指摘するように、この法律には地震予知を前提とした行政の様々な対策が書いてある。例えば、第4条(強化地域に係る地震に関する観測及び測量の実施の強化)、第9条(警戒宣言等)などである。
 しかし、この法律がカバーしているのは地震予知だけではない。それは第1条の(目的)を読めば分かる。
 第1条「この法律は、大規模な地震による災害から国民の生命、身体及び財産を保護するため、地震防災対策強化地域の指定、地震観測体制の整備その他地震防災体制の整備に関する事項及び地震防災応急対策その他地震防災に関する事項について特別の措置を定めることにより、地震防災対策の強化を図り、もって社会の秩序の維持と公共の福祉の確保に資することを目的とする。」

 問題があるとすれば”地震対策強化地域”の指定の実態である。指定の根拠となっているのは第3条第1項の規定である。
内閣総理大臣は、・・・大規模な地震が発生した場合に著しい地震災害が生ずるおそれがあるため、地震防災に関する対策を強化する必要がある地域を地震防災対策強化地域(以下「強化地域」という。)として指定するものとする。」
 この条文に基づいて、地震防災対策強化地域が指定されたが、確かにゲラー教授の指摘するように、東海地震に重点が置かれ過ぎている。政府の中央防災会議は内閣総理大臣の指示を受け、「東海地震に関する専門調査会」を設置し(平成13年1月)、以後この地域にのみ重点を置く施策を行ってきたのは事実である。要するに思い込みによる法律の運用の偏りに問題の根があるのだ。
 今まで「東海地震」予知に関心と予算と精力をつぎ込み過ぎて、他の大きな地震を見逃し続けてきた推本などの罪は大きい。 

 ここで地震考古学について少し触れてみたい。
 産業技術総合研究所招聘研究員の寒川旭氏の著書『秀吉を襲った大地震』(平凡社新書、'10.1.15)という本がある。主に、秀吉を震え上がらせた天正地震と伏見地震について歴史的・考古学的なアプローチを行ったもので、それはそれで大変面白かったが、最後の方の第9章で、奇しくも「南海トラフ」の歴史について記述があるので、この本の記述をもとに少し記してみたい。

 南海トラフの特徴をこの本から引用すると(1)連動する地震の中でも最大級の規模を持つ、(2)駿河湾から四国沖の太平洋海底ののびる細長い凹地、(3)フィリピン海プレートが、ユーラシアプレートに潜り込みながら大きな地震を引き起こしている、ということである。

 文字記録による東海地震と南海地震が発生したことが分かる最古のものは、「日本書記」の天武13年10月14日条(684年)である。その記録によれば、近畿南部や四国などの広い範囲が激しく揺れ、伊予温泉(道後温泉)の湯が出なくなり、土佐国高知平野が沈んで、太平洋沿岸に津波が押し寄せたとあるが、これは南海地震の特徴であると著者は指摘する。

 また、1703年12月31日の「元禄関東地震」(マグニチュード8.2)や、1707年10月28日の「宝永地震」(マグニチュード8.6)についても記されている。前者は南海トラフの東への延長に当たる相模トラフで起きており、後者はその4年後に起きているが、南海トラフのほぼ全域から東海地震と南海地震が同時発生したものを一括して表現したものである。本書によれば、地震規模はマグニチュード8.6前後となり、伊豆半島から九州にいたる太平洋沿岸地域が激しく揺れて、大津波に襲われた、とある。
 この本には、南海トラフ地震年表が載っており、この年表では、地震痕跡位置、年代及び遺跡名が記載されていて貴重な資料となっている。
 なお、寒川旭氏の見解については、下記のサイトで読むことができる。
 地震の日本史

 なかなか要約は難しいため、詳細は直接本書に当たっていただきたい。ただ、これらの地震には多くの文字記録や遺跡があり、地震学からではなく、歴史と(寒川氏の名付けた)地震考古学から南海トラフ巨大地震を学ぶことができるのである。
「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ。」というビスマルクの言葉は、まさしく現在の地震を巡るさまざまな知見の評価に有効なようだ。