樋口一葉「十三夜」を聴く―NHKラジオ文芸館、阿部陽子アナウンサーの朗読に酔う

9月3日午後も早い時刻、車で走りながらNHK第1放送にチャンネルを合わせると、ちょうどラジオ文芸館の再放送が始まるところだった。作品は樋口一葉の「十三夜」、このような雅俗折衷体の見事な文語文で書かれた作品を、果して耳で聴いて理解できるのかな、と思いながら聴きはじめたのだが、阿部陽子アナウンサーの若々しい流麗な語り口がまことにに心地よく、物語がすいすいと耳に入るではないか。

 落ち着いて知的な語り口の地の文の朗読、生き生きとして情景が目に浮かぶ会話の表現、眼で文を追うよりも鮮やかに物語が迫ってくる。朗読によって雅俗折衷の効果が一層見事に浮き出て、明治初期の家父長的な社会の狭間で二重苦に喘ぐお関の運命の哀れさと健気さが、聴く者の心をとらえて離さない。阿部アナの語り口はまるで主人公お関が乗り移ったかのようで、その苦しみ、悲しみが聴く者にしみじみと伝わってきて、ただうっとりと聴き惚れるのみであった。

 お関に降りかかる二重苦とは、一度は離別をと思い詰めた嫁ぎ先の高級官吏である原田家での下層出身の嫁としての苦しみ、そして実家の斎藤家の存立がそのお関の嫁ぎ先によって辛うじて保たれている残酷な現実。加えて、偶然邂逅した車夫に身をやつした煙草屋の跡取り息子だった幼なじみの録之助から知らされた、お関が嫁いだ後に彼が辿った転落と破滅の運命が、お関のこの明治社会における真の立ち位置を知らしめる。この辺の物語の綾は、岩波文庫前田愛氏の解説、「原田の妻として被害者の立場におかれていたお関が、じつは録之助をすてばちな放蕩にかりたてた加害者であったという逆転に、『十三夜』の物語の、もうひとつの奥行きを読みとることができる。」ということに尽きている。

 阿部アナウンサーの朗読の中で、聴いていて思わず絶妙と思ったのは、録之助がお関に語る近頃の身の上の中で、「厭やと思へば日がな一日ごろごろとして烟(けむり)のように暮らして居まする、・・・」という部分で、その<烟のように暮らして居る>という比喩がまことに面白くて心に残った。一葉の文章は総じてセンテンスが長く、例えば「たけくらべ」の冒頭部分などはいつ終わるとも知れないほど長い。息の長い文章は眼で追うよりも耳で聞いた方が理解しやすいのかも知れない。(外国の作品では、トーマス・マンの「ヴェニスに死す」を大学時代に覚えたてのドイツ語で読みかけたものの、あまりにセンテンスが長いのに閉口して、すぐに挫折した記憶がある。去年のドイツ旅行でライプツィヒの書店で求めたマンの"Der Tod in Venedig und andere Erzählungen"(Fischer書店)をパラパラめくってみたが、間違いなくセンテンスが長い。)
 ただ、現在であれば「。(句点)」を打つべきところを「、(読点)」を打って文を息長くつないでいるだけなのかもしれない。明治の始めの文章事情はよく分からないが、同時代の幸田露伴が一葉と同様の雅俗折衷体で書いた「五重塔」などを見ると、同じくセンテンスが恐ろしく長い。まあ、この辺りは素人の単なる感想に過ぎないので、どうか読み流していただきたい。

 
「十三夜」は一葉の作品の中では、上(前半)と下(録之助が登場する後半)の対比が鮮やかで、比較的分かりやすい物語構造となっているが、一葉の代表作のひとつである「にごりえ」になるとそうは単純ではない。

 この作品が完璧な作品であるかといえば、そう言い切るにはやや躊躇が残る。情死あるいは無理心中する主人公の二人について書かれた最終章は分かりにくい。ここには余韻というよりも歯がゆさを感じてしまう。多分一葉は物語の効果を狙って工夫したのだろうが、果して成功したのかどうか、にわかには判別し難い。また章から章への物語のつながり具合にも難解なものがある。
 しかし、これだけの作品が果してわずか24歳で亡くなった女性の作品であろうか、花柳の世界で生きる女性と様々な心情と欲望と思惑を抱えた顧客との間の言葉や感情の微妙な行き交いがこれほど見事に表現されているのには、ただただ感嘆するのみである。主人公のお力の心うちの分かりにくさが、かえって作品に複雑さと陰影を与えているような気がする。次に一葉についての代表的な評論を少し覗いてみる。

 勝本清一郎は、「たけくらべ」を書き終えた直後の一葉の日記の「誠にわれは女成けるものを、・・・我は女なり」という部分を敷衍して、「一葉は(その女としての身を社会に対処させて)一層のあきらめと内面的孤独感から、社会への対処を捨てている。虚無の世界の方へ身を引こうとしている。」と述べ、更に「一葉にとって世の中はどうにも女の力の及ばない不如意の世の中であった。あらゆる世俗的な、主として男の、力関係で雁字がらめにされている世の中の荒波のあいだで、女の一葉は何度もうめき声を発し、遂に厭世の『甘味』にさそわれた。」と結論づける。吉原遊郭の周辺でまるで陥穽に嵌まったように苦難に満ちた暮らしを送り続けた結果、作家として人間や社会に対する透徹した視力を磨いていった一葉のある面を見事に突いた評論である。しかしこれで一葉の全てが理解できるわけではない。

 他にも一葉をめぐる評論のたぐいは汗牛充棟もかくやと思わせるくらい存在している。かくも一葉は、その人も作品も、多面的な解釈の誘惑にかられる稀有な作家であった。
 一葉の教養は、「源氏物語」などの王朝文学のほか、幼い頃からなじんだ「八犬伝」を始めとする草双紙、他には西鶴村上浪六など、そのほとんどが日本のものであった。西洋の文学や哲学を学ばなくとも、いや未消化のまま西洋の文化をいたずらに取りこまないからこそ、これだけ読む人に喜びを与える、表現力に富んだ美しい文章が書けたのであろう。心すべきである。
 今回は、一葉畢生の傑作「たけくらべ」に筆が及ばなかった。いずれかの機会にあらためて論じてみたい。