ちょっと一服(5)昨年の大晦日の<紅白歌合戦>で、美輪明宏の”よいとまけの唄”を聴いて感激、’60年代の「銀巴里」を想う

 昨年の紅白歌合戦で、美輪明宏が”よいとまけの唄”を歌うというので、普段見ることのないNHKにチャンネルを合わせた。
 美輪は、いつもの女装コスチュームではなく、キリット締まった、往年の「シスターボーイ」を彷彿とさせる黒髪で黒ずくめの颯爽としたいでたちで現われた。歌が始まると、その圧倒的な貫禄と凄まじい表現力に陶然とし、そして胸を締め付けられる思いで聴き入ったのである。並みいる凡俗の歌手たちとは天と地ほどの違いがある。まさに芸術魂の権化であった。

 歌を聴きながら、遥か48年ほど以前の銀巴里の舞台を思い出していた。
 私は、大学を卒業して上京、某銀行の支店で勤務し、その銀行の西船橋にあった独身寮で暮らしていた。仕事は多忙を極め、その無聊を慰めるため日曜日の夜のラジオで銀巴里の提供する番組に耳を傾けるのを楽しみにしていた。オープニングで山本四郎が歌った歌のメロディは今でも口ずさむことができる。

 ラジオで聴くだけでは物足らず、ある日曜日に思い立って銀座八丁目の銀巴里に足を向けた、それが銀巴里に病みつきになるきっかけだった。仲代圭吾、金子由香里、長谷川きよし加藤登紀子などの歌唱をいつもかぶりつきで聴いていたが、ある時、偶然か事前に情報を得ていたのか今でははっきりしないが、銀巴里に丸山明宏が出演する機会に遭遇し、”よいとまけの唄”を目の前で聴くことができた。まことに幸運であった。彼は小柄で輝くような美少年であったことを記憶している。紅白で美輪が歌いながら取ったボディランゲージの数々は、丸山明宏の銀巴里の舞台での姿と二重写しとなって懐かしさと悔恨の念が胸がかきむしるのであった。

 私の胸を締め付けるのは、今と丸山明宏の時代とを隔てる50年になんなんとする歳月なのである。通り過ぎた不条理で非情な時間の流れを思って涙が出るのである。
 しかし、現在の若者はどのように聴いたのだろう。きっと私のような年代と体験を持つ者とは全く違った風景としてこの唄を聴いたことであろう。
 私が”ヨイトマケの唄”に感動するのは、私自身が1960年代という時代の語法(エクリチュール)の型に囚われているからなのか。つまり、たまたま1960年代に最も感受性の強い年月を過ごすことを選択させられた者だけに特有な現象なのだろうか。いや、そうではあるまい。
 多くの若い人たちがこの唄を聴いて心を打たれたと聞いている。それは、優れた歌の力がその時代に帰属するエクリチュールの檻を打ち破ったか、でなければ今という時代の若者たちが48年前と似た社会的な場に置かれているからに違いない。