「世界恐慌の足音が聞こえる」(榊原英資著)を携え、石巻へ向かう

 10月4日の夜、家内とともに11時30分の夜行高速バスで仙台へ向かい、翌5日の朝6時に仙台駅に着く。9時に、大学入学以来の親友であるKさんが迎えに来て、石巻の大震災の被災現場を案内してくれる。Kさんは長年石巻で仕事に就いていたため、この地域の事は詳しい。

 初めてこの目で直接被災地を見る。主に石巻港を中心に見廻ったが、震災からもう7カ月近く経っているのに、被災現場の復旧は遅々として進んでいない。下記は、その時に撮った写真の一部である。ガレキや廃車の山、廃墟になって骸骨のような姿の小学校の校舎、放置されたままの漁船の残骸、家が流された後の雑草の生えたままの荒れ地、津波で塩害を被り放置されたままの田畑、あまりの悲惨な有様に言葉もない。何箇所か見た仮設住宅のみすぼらしさに愕然とし、心が痛んだ。ここで、これから被災者の皆さんが北国の寒い冬を迎えるのかと思うと暗然となる。日本は果たして文化国家か?
 一体本当に誰かが復旧に当たっているのだろうか?政治も行政も何故こんなに無為無策で無惨なのか。やり場のない怒りがぶすぶすと湧き上ってくる。

 ここは被災地のほんの一部に過ぎなこと、福島ではその上に原発の被害が重なっていることを思うと、天災と人災の織り交ざった、この日本人を襲った悲劇に対する怒りをどこにぶつけていいのか分からなくなる。いや怒りはいい、怖いのは無力感に陥ってしまい、日本人の気が萎えてしまうことだ。大袈裟ではなく、それは即、日本文明の滅びにつながりかねない。
 被災地の海を何事もなかったように飛来するカモメの可憐な姿が一層悲しみを添えて印象的であった。

 本当はソロスの本を少し丹念に読むつもりだったのが、急遽旅行に出ることになったため、何か読むものをと考え、榊原英資著「世界恐慌の足音が聞こえる」(中央公論新社、11.9.25)を手にして、旅の間の短い暇暇に読み続け、5日の21時ころ家にたどり着く前に読了した。これについては、明日感想を述べたいと思う。