「朱元璋 皇帝の貌」小前亮(講談社、'10.11.2)

陳舜臣の「小説十八史略」はわたしの愛読書の一つだが、扱う時代の範囲は原作者の曾先之と同じ南宋の滅亡までである。この本の中では、新しく王朝を創設した英雄(梟雄)たちの破天荒な人物像が、生き生きとした興趣あふれる筆致で描かれている。殷を倒し周王朝を築いた武王・周公旦・太公望、秦の始皇帝、漢の劉邦、魏の曹操を始めとする三国志の英雄たち、随の煬帝、唐の李淵武則天、宋の趙匡胤モンゴル帝国のテムジンなど、その天下取り(又は禅譲、あるいは簒奪)に際して発揮された、神がかり的にして善悪の埒(らち)を超えた測り知れない智謀・悪謀と人心を収攬する個性豊かで強烈な人間性、また非情なまでの武断にはただただ驚嘆するばかりである。”血湧き肉躍る”とはこのようなことを言うのだろう。

 しかし、この本の扱う範囲では、モンゴル帝国を倒し中原に覇権を打ち立てた明の朱元璋洪武帝)までは筆が及んでいないため、この人物に対する関心が長く満たされないままだった。しかし、小前氏の標記の本で、モンゴルの支配が瓦解に瀕して天下が混乱する中で、朱元璋がほぼ天下を手中に収めるまでの波乱の物語を読むことができ、ようやく渇望が満たされたのである。

 しかし、ここで描かれる朱元璋はいかにも立志伝中の人物然としていて、優れたリーダーとしての側面ばかりが強く出過ぎている。貧農の子からのし上った天下の簒奪者はこんなものではないだろう。もっと悪賢く、陰惨で、非情で、冷血で、とにかく一筋縄ではいかない端倪すべからざる人物像であるに違いない。中国王朝の創始者のなかでも極め付きの凶悪さを身に纏い、不条理で理解を絶する英傑が朱元璋であるとずっと思っていた。
 その証拠という訳ではないが、この物語の中で活躍する功臣たちの多くは朱元璋洪武帝)の天下取りの後に粛清の嵐の中で殺されている。胡惟庸の乱で神のごとき軍師の隆基と廖永忠が死に、その胡惟庸も粛清され、続いて宗濂も流刑死し、その後は李文忠が殺され、朱元璋の天下取りの最大のパートナーであった徐達でさえ自然死ではないという疑いもある。また、後年には功臣中の功臣である李善長も粛清されている。洪武帝は死ぬまで数知れぬ功臣やその係累たちをを殺し続けた。過去に劉邦という前例はあるが、以後の歴史上洪武帝に匹敵するのはスターリン毛沢東くらいであろうか。

 それにしても、古代〜近代の中国の歴史とそこに登場する文人や英雄豪傑たちの物語はどうしてこんなに面白いのだろう。更に言えば、年齢のせいか、最近は中国の古典の言葉が身に沁みるようになってきた。そこには、すでにして人間と人間社会に関するあらゆる知恵が詰まっている。

 例えば、宮城谷昌光「中国古典の言行録」(文春文庫)を紐解けば、よく知られた名言名句が多く引用されていて中国古典の簡便なおさらいができて楽しい。
 また、中国古典の読書案内としては、前にも引用した百目鬼三郎氏の「読書人読むべし」(新潮社)の<中国の古典>の章が大いに参考になる。この案内では「書」「礼」「詩」を始めとする古典のテキストが万遍なく紹介されており、そこでの百目鬼氏の経書学の蘊蓄や訓詁ぶりがまことに面白い。これからこれらの古典をを少しずつ読んでいこうと思っている。それにしても中国古典の文章(漢籍)の読み下し文は凛として格調が高く、まことに爽快この上ない。
 中国から漢字が輸入されて以来、日本人の教養や思想や文章の根幹を形作ってきたのは中国古典の数々である。これらはわれわれの血肉の中に遺伝子となって今に至るまで連綿として受け継がれてきているのである。

 最後に、宮城谷氏の前掲書で、最も感銘を受けた言葉を記してみたい。
 志不可満 楽不可極(礼記
 これを読み下し文にすると以下のようになる。
 志は満たすべからず 楽しみは極むべからず。
 世の中に氾濫するありとあらゆる情報によって心をかき乱され、妬心と怨みをつのらせ、果ては鬱積した欲求不満に身もだえしている現代人はこの言葉をよく味わうべきである。