ちょっと一服(4)「哲学者の密室」−15年前の感想のお粗末?

引っ越しの荷物整理をしているときに、古いノートブックが何冊か出てきた中に読書感想を記したものがあり、笠井潔の「哲学者の密室」の読後メモを見つけた。この本読んだ日付は平成9年11月28〜29日と記入してあり、この本がカッパ・ノベルスから出版されたのが1996年(平成8年)7月25日だから、出版後それほど日にちが経っていない頃だ。

 メモ程度のざっくりしたものだが、今でも基本的に考えは変わっていないので、恥を忍んでここに披露してみる。もう15年も前だが、私のなんやかやとケチをつける性癖は変わっておらず、今さらながら、三つ子の魂百まで・・の思いを新たにした次第。現在読んでいる「わらの犬」(ジョン・グレイ)の感想をまとめるのにやや時間がかかっているので、お粗末ながらその間のブログのNiche(ニッチ=隙間)を埋めようと思った次第。何とぞご容赦を。

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「哲学者の密室」上・下(笠井潔:光文社カッパ・ノベルズ、1996.7.25)
 ハイデガー存在と時間」をネタ本とした本格推理物。ヴァン・ダインディレッタンティズムを一層肥大させた退屈な作品。反復による言葉の過剰で、ヴォリュームはあるが、本の厚さに見合う充実感はない。
 同工異曲の作品に、P.カーの「殺人探究」(ネタ元は、ヴィトゲンシュタインの「哲学探究」)があるが、こちらの方がすっきりしている。とはいうものの、いずれもネタ本に依存している・・・と言うよりは、依存したいという方法意識が強すぎて、推理小説としての平凡・凡庸な部分と、高踏的な哲学論義との落差が十分に埋め切れていない。これがおどろおどろしい外見とは別に、内容のつまらなさを感じさせる原因であろう。
 とくに、アンナ・クリューガーの偽装自殺のトリックは無理がある。物理的にも、心理的にも。
 作品がオマージュを捧げている中井英夫の「虚無への供物」はこんなものではないだろう。