わが愛読書(1)「孫子」町田三郎訳注(中公文庫、S.49.9.10) 

1972年、山東省の臨沂県銀雀山の前漢時代の墓から大量の竹簡が発見された。「孫子」のテキストでは、従来は「宋本十一家注」が<最古で最善とされて>(金谷治氏)いたが、竹簡が2年後に解読されると、そこには今日の十三篇に相当する「孫子」と、他に「孫臏兵法」と思われる2種類の「孫子」が含まれていることが分かった。
 現在のところ、竹簡文を底本とした訳注本は、浅野裕一氏の本(講談社学術文庫、1997.6.10)だけで、「宋本十一家注」をテクストとしつつ、竹簡文を参照して校訂されたのが、金谷治氏の「新訂孫子」(岩波文庫、2000.4.14)である。私が長年親しんだのは金谷治氏の弟子の町田三郎氏の訳注本であるが、1974年9月の出版なので新発見の竹簡資料は参照されていない。「宋本十一家注」を基に、宋本「武経七書」ほかを随時参考としたものである。

 上は、私が読み続けてきてすっかり手垢まみれになった町田三郎訳注「孫子」の中公文庫本である。
 中国の古典の「論語」など四書と「易経」など五経は明治に至るまでの日本の知識人の教養の根幹を形造ってきた。他に「国史左漢」などの史書、「荘子」や「老子」「孫子」などの諸子百家、「詩経」「楚辞」「唐詩」などの文学も同じである。
 諸子百家の一つである「孫子」は中国最古の兵書で、兵書であるのみならず、個人あるいは組織としての人心の在りようの深層を深く洞察し、また戦争に仮託して世の摂理の真相を剔抉した恐るべき現実主義的人生哲学の書でもである。寸鉄人を刺す孫子の言葉は、生きる上でも仕事を進める上でも、折に触れ確かな道標となってくれている。現代の最高のインテリジェンスでも及びもつかない人世の運行の実相を明らめ、しかも観念論に堕することのなく極めて実戦的な本が、何と紀元前500年ころに書かれたというのは未だもって信じ難い。

 なお、三国志の梟雄である曹操は「孫子」に深く傾倒し、彼のまとめ上げた「魏武注孫子」は現存する最古の権威あるテキストでとなっている。
 中国古典の読書案内として、百目鬼三郎氏の「読書人読むべし」(新潮社、S.59.1.15)を常日頃座右に置いている。中国の古典のみならず、筆は日本の古典や探検記、地誌や伝記、果ては辞書にまで及び、続編の「乱読すれば良書に当たる」(新潮社、1985.8.25)も含めて博覧強記の読書人ぶりを発揮してまことに面白い読みものとなっている。
「読書人読むべし」の「孫子」に言及している部分で、百目鬼氏は<中国で最古の兵書である『孫子』は、春秋時代前六世紀の孫武の著であるという説と、戦国時代前四世紀の孫臏であろうという説があり、今日では孫武説はほぼ否定されている。>として、<孫武説が否定されているのは、現行のテクストに後世の付加があるせいだとして、元来の『孫子』を復元してみせているのもご苦労なことだ。>と皮肉交じりに述べている。
 竹簡の発見を受けて中国の学者は「孫子十三篇」は孫武の自著と断定しているが、町田三郎氏の「孫子」の解説で、金谷治氏は、<問題はそれほど簡単ではなかろう>と述べ、<今の『孫子』の作者は、やはり近年の研究成果をふまえて孫臏をすえておいてよいのだと思う。>と結論付けている。しかし、浅野裕一氏は、本文の解説で詳細なテキストの考証を行った末、現行「孫子」十三篇が、前漢末に知られていた「斉の孫子八十九巻」ではなく「呉の孫子八十二巻」の一部であるとして、孫武説を支持している。

 孫武孫臏の人物像については、海音寺潮五郎が虚実をうまく取り交ぜて書いた「孫子」という本が面白い。(講談社文庫) 
 私は学者ではないので、詳しい考証はどうでもよく、とにかく持ち運びやすく、読み易ければいい。その点町田「孫子」は読むことの困難な原文も煩雑な解説もなく、書下し文と現代語訳、それとほど良い語注だけで、ページ数も120ページ足らずで手軽である。町田氏の現代語訳はいかにも漢文の翻訳らしく格調が高く、しかも簡潔で味わいが深い。浅野氏の訳文は歴史的な状況も読み込み、意を尽くそうとして懇切ではあるが、却って回りくどく説明調となってしまっている。
 金谷治氏の「新訂孫子」も町田訳と同様に簡潔で明晰であるが、現代文として独特の柔らかさがある。なお、町田本にはない原文と重要語句索引があり、また「史記」の孫子伝が附録として載っていて便利である。

 三氏の現代語訳をちょっと比較してみよう。原文の書下し文(町田氏のものを使用)の後に翻訳文を示す。孫子の文章は、いかにも<簡古で隠微>(金谷治氏の「改訂孫子」の解説)であるため、それぞれ翻訳に独自の工夫がなされていることが分かる。
−故に上兵は謀を伐ち、其の次は交を伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻む。 
 町田三郎訳「そこで、最上の戦争は、敵の策謀をうち破ること、その次は敵と他国との同盟を阻止すること、その次が実戦に及ぶことで、最も拙劣なのが城攻めである。」
 浅野裕一訳「そこで軍事力の最高の運用法は、敵の策謀を未然に打ち破ることであり、その次は敵国と友好国との同盟関係を断ち切ることであり、その次は敵の野戦軍を撃破することであり、最も拙劣なのは敵の城邑(じょうゆう)を攻撃することである。」
 金谷 治訳「そこで、最上の戦争は敵の陰謀を〔その陰謀のうちに〕破ることであり、その次は敵と連合国との外交関係を破ることであり、その次は敵の軍を討つことであり、最もまずいのは敵の城を攻めることである。」