「市塵」藤沢周平の描く新井白石の後半生

 藤沢周平の「市塵」上下(講談社文庫)を読んだ。
 この本は新井白石の後半生を描いたものである。新井白石については東日本大震災に関連して別のブログ(http://d.hatena.ne.jp/inochinooto/20110328/1301265172)にも書いた。

 それにしても藤沢周平の筆には日本人の文化的美質としてのさわやかさがある。その登場人物の善悪を問わず、人物像の描き方は常に明晰でさわやかであり、曖昧なところがない。その大きな理由は、登場人物の人物像を見切って書いている点にあると思う。その見切る手腕に藤沢氏の小説家としての真骨頂がある。その反対に見切ることをせず、これでもかと病的なまでに多面的で複雑な人物造形に手立てを凝らす作家はドストエフスキーである。これは、どちらが良い悪いということではなく、作家としての資質や真実に迫る手法の違いである。例えば、ギリシャ悲劇とドイツ観念論哲学との間くらいの落差がある。

 この書を読む前から最も関心があったのは、白石の出処進についてであった。家宣、家継二代に仕え、特に将軍職に就く以前より学問を進講してきた家宣の信任を受け、また間部詮房という良き庇護者を得て十分に手腕を振るうことができたが、時は移り、次の吉宗の代になって奥詰の職を免ぜられ一挙に政治的な力を失うことになる。しかし、昔の人は、訪れた運命を、自らの先行きをそれなりに見切った上、その状況を敢えて甘受しているかのように見える。権力を振るった人物ほど、逆境に落ちても、いたずらに不運を嘆くことをせず、これも宿命として甘受するその姿勢もまた美事である。権力を私することがなかったという誇りからであろう。そこに人としての尊厳さえ感じる。柳沢吉保しかり間部詮房しかり。これは当時の施政者が、公(おおやけ)と私(わたくし)を峻別していたからであろう。

 こうした日本的感性の番外が、いわゆる日本の三大悪霊の菅原道真平将門崇徳天皇である。これらの人物は日本人の処世観や運命観から外れた埒外の存在ゆえに人びとに怖れられたのである。
 白石は詩人としても非凡で、上記のブログでも詩を紹介したが、この小説においても藤沢氏が引用している素晴らしい詩がある。その冒頭の部分はこうである。
<満城の花柳 半ば凋残 嘆息す 人間行路の難きを>

 私も、老残の身でありながら、さる医療法人で辛うじて職を得て働いている。しかし自らの出処進退について考えぬ日はない。
 作中で、間部が臨終間近の家宣の言葉として白石に次のように伝える場面がある。
「全て始めのあるもので終りのないものはない。ゆえに無事な時にも、死後のことというものは考えておくべきである。まして病気の身なればなおさらのことである。それを、縁起でもないこととして女子供のように忌み嫌っては、臨終のときに過ちを犯すことになろう。」ここには人間の有限性を自覚し、己の運命を見切る姿勢が感じられる。

 今の日本では、寿命が延びたせいか、健康維持への欲求は異常なものがある。愚かにも、まるで人は健康に悪いもの(感染性細菌・放射性物質残留農薬食品添加物その他の発がん性物質、さらにはストレスや呪詛に至るまで)さえ避けることができれば、いつまでも生き続けることが出来るかのように振舞っている。しかし、何が原因であろうと始めのあるものには終りがあり、しかも終り方の殆どは不条理で納得のいかないものなのである。日本人にとって、そんなことは大昔から当たり前のことであり、諸行無常を観ずることは日本文化の粋ですらあったのだ。